10月30日(月) 毛利子来さんから学んだこと(1/100000000)

  • 2017.10.30 Monday
  • 23:01

 

毛利さん 追悼 2017/10/29

 

 「岡崎くん、柔軟さが人間には必要なんだよ」とよく話してくださった。私は毛利さんの好奇心と冒険心が好きだった。書かれる文章の厳しさとは逆に、ナマの毛利さんはとても柔軟で優しかった。

 毛利さんは、教育や子育てを、軽量化、数値記号化、計画化、効率化を排し、子どもと親や教師も生身の人間として向き合うことを主張した。「理屈が多すぎるのはやだねぇ、テキトウがいいなあ。真剣さより笑ってる方が健康にいいんだよ」と。

 

 力なき子ども、障害を持つ人、差別された人、弱き立場の声をとにかく大事にして「まず、本人に聞くんだよ。聞こえないのは君の耳がダメなんだよ。聞こえなければ、よく見ればいいんだよ」と私を叱咤激励してくれた。

 『ち・お』と『お・は』の編集会議では、毛利さんの融通無碍さにときどき虚を突かれた。「そういうことか」とあとで深く納得することも多かった。

 

 私がはじめて編集責任として編んだ『ち・お』16号体育特集の論評会があった。毛利さんの批評が気になっていたので、「どうでしょうか?」と尋ねると。

 「岡崎君、中身はいいよ。それに、この号のカットやマンガね、なんかすごく訴えてるねえ。いいよ。でもね、まぁこの号だけにしておく方がいいかなと思ったよ。ハハハ」であった。

 

 『ち・お』の合宿編集会議の宿で、山田さんと毛利さんと私が一緒の部屋で寝ることになった。そのとき、毛利さんが「ぼくはいびきがうるさいからごめんね」と言われたのだが、正直、山田真と毛利子来の間で眠ることなどできないと思った。自分が敬愛する人の間で眠るというのは二度目(一度目は、遠藤豊吉と村田栄一の間で寝た(笑))であったが、「こりゃあ眠れそうにないなあ」と思って、眠るのをあきらめたことがある。

 

 さて、毛利子来の子育てと教育に関する実践的な思想に私は、新卒5年目から影響を受けている。当時、私は新卒五年目研修を拒否すべく、闘っていた(笑)。そもそも、官製研修などは、教育委員会の奴隷になるためにやることであり、本来は自主研修でなくてはならない(エヘン)。指導要領や文科省の指示に対し批判的な論議が許されない場所で、何が研修だ!と思っていた。今でも、かなり思っている(笑)。昨今の新指導要領伝達研修の中身についてはいずれまた。

 

 そのころ毛利子来著『新エミール』(筑摩書房)が出版された。それをとにかくむさぼり読んだ。当時、全国的に体力づくりが盛んで(遠因は1964東京オリンピックだ)、同時に「生活点検運動」なる子どもの生活管理システムが、多くの学校で盛んだった。

 

 それはどちらかというと民主的と言われる民間教育団体が発案して推進していた。子どもたちは、毎日うんこの長さや色を調べたりして自分の身体を認識するという教育目的が述べられ、細かな健康観察をさせていく実践だ。「なんかおかしい?」という気分でいた私はそれを全面的に批判しようと決意していた。

 

 『新エミール』は画期的な教育論だった。当時は、山田真と毛利子来の身体思想に啓発されていたから、飛びついた。毛利さんの思想の根源は「自由」である。そういう学校における身体の管理に対して、教育も子育ても自由でなければならないと強く主張した。

 

 教育の自由、これは、結構いろんな人が言うが、保守ー革新という懐かしい対立軸からも自由でなければならないと毛利さんは言うのだ。民主的だから自由だろうというが、そうとは限らないというのが毛利さんの根っこにある疑いだった。

 

 普通の医者なら薬や治療、生活習慣を大事にという指導を患者に上から目線でするものだが、毛利さんはそういう「科学」に対し根本的に疑念を持ち、科学を信仰することがまったくない。みんな「テキトウ」=「適当」で良いというのだ。人間の感性的、感覚的な身体の把握力を育てるべきだという。

 

 不登校の子どもたちにもかかわり、学校も行きたくなければいかなくていいと早くから主張していた。それは、他人から見れば、わがままに見えるが、実は、わがままではなく、本人のっぴきならない理由があるんだからね……、それに「わがまま」でもいいじゃないか!というワケだ。なるほど。

 

 ここに学校制度批判が明確に立ち上がってくる。子どもが自由であることは、実は、非常に厳しいことなのだ。それは子どもと付き合っている私たちには分かる。不登校、登校拒否なんてのは、非常に厳しい選択なのだ。「学校へ行かなくてラクじゃないの」と思っているなら、みんなもやめればいいと思う。

 

 自由は楽しいが苦しい、苦しいけど楽しい。ここに「学校ってほんとうにいいものかしら」という視点があれば、毛利さんの言わんとすることが非常によくわかるのだ。しかし、学校神話に絡め取られている人は、学校を突き放せないということになる。ま、それはそれで、しかたがない。

 

 実際に毛利さんの本を読めば、または話を聞けば、融通無碍であり思想は深いが、「めちゃくちゃ」では決してない。非常に筋が通っていて、理解しやすい。「子どもを『再発見』しなさい」と声高らかに言う。「主体的に生きていない親や教師に子どもが分かるわけがない」と断じる毛利さんをぼくはずっと尊敬してきたし、頼りにしてきた。

 

 まだまだ、毛利さんから学んだことはたくさんある。多くの著書はほぼ読ませてもらった。毛利さんの本を読みながら私は教員になり、親になった。『ち・お』と『お・は』の編集会議で20年あまりお世話になったけれど、いつも優しくしてもらった。もう一度『新エミール』を読み直してみる。毛利さん、私の側に、いつまでも立っていてください。合掌

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