9月25日(月曜日)満月の自己満について
- 2017.09.25 Monday
- 10:13
やっと一冊の本の校正が終了した。10月の上旬にはできあがる。影山健著『批判的スポーツ社会学の論理:その神話と犯罪性をつく』(ゆいぽおと)が上梓される。10月9日東京でオリンピックを考える集会が開催されるので、なんとかそれに間に合うようにと……。
内容はスポーツと体育の問題点を明らかにし、市民的発想を重視して専門性を考えるという論旨で、自由すぽーつ研究所(ま、ぼくとあと二人の友人だけど)で編んだ。また、できたらご紹介する。ぜひ、一冊でも数冊でも購入してもらえると嬉しい。
さて、現在学校では月の学習が終了した。毎度、月を学ぶのはとてもやっかいで、簡単な理屈は、太陽の光が反射して月が見える。太陽の位置関係が月の形を決める。29(30)日の周期で変わる……。
教科書には「菜の花や、月は東に、日は西に」という蕪村の俳句で、これは朝昼夕の何時か?、出た月の形は何か?という基礎的な問題がある。月と太陽のオカザキ的教具を使って何度もやってきたが、蕪村も教科書の練習問題に使われるとは思っていなかっただろう。
先日、巨人の星のビデオを鑑賞しながら、太陽と月が同時にでるのは、自分の位置を中心に据えると、太陽と月が180度に並んでいるからだよねと説明。太陽が西に沈むときは月がほぼ真東に出るし、太陽が東から昇ってくるときは月は月は西に沈むンだよという具合だ。
こういう授業は、ちょっと虚しい。今日から修学旅行へ出かけている六年生にや、夕方に西の空に三日月が出るから、ちょっと気にとめておいてと伝える。実際に自分の目で確かめてみると、まあ、三日月がどれくらい綺麗か、神秘的かが分かる。
理科でいつも思うのは、不思議がる感性が大事だなと思うが、こればかりは誰もが持っているわけではないし、誰もが一緒に「そう感じる」ワケでもない。最近は、星だって見えにくい都会ではそうだ。不思議がる感性を育てる……なんていうけれど、実際は、子ども自身が、そう感じるような「時期」にこちらのしかけやテーマがマッチしたかどうかによるような気がする。
上弦と下弦の区別だって、いろいろな教則マニュアルに書いてあるし、ネットでもすぐにキャッチできるけれど、半月のかたちを弓と観る想像力があるかないかなんて、子どもによる。「なるほど、そうなのか」と思えるような準備やしかけをしても、「ふーん」で終わる子だってたくさんいる。で、ぼくは、「ふーん」でいいじゃないかと思う。「いつかわかってくれる」ともあまり思わない。
その「ふーん」で終わる子どもたちを、なんとか感動させたいというのは、立派ですばらしけれど、「月に興味がまったくない」という子どもたちもいていいんだ(かなり多いと思うけど)と思う。
『ちびっこカムの冒険』では、北斗七星のひしゃくをひもで引っぱって、中の水を火山にかけて消す話があったけど、それだって、「すご〜い」と思って欲しいけど、「なんじゃ」とか「それがどうした」という子どももいいじゃないかと思う。私は、大人としては、教員としても「な、な、すごいだろ」と本当は言いたいし、言っている顔して読み聞かせしているけど、言っているオーラ丸出して子どもを観ているけど、「早く、チャイムならないかな」と思っている子どももいいよなと思う。
満月と太陽が同時に見える早朝の「巨人の星」のシーンでの「これが自然の摂理なのだ、美奈さんは月になった、おれは太陽になろう」という感動的なセリフだって、オヤジの自己満(笑)と言われてもやむを得ないかなと思いながら、授業をしているのであった。
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