7月13日(木曜日) 夏休みは子どもにとっての黄金時代なのに……

  • 2017.07.13 Thursday
  • 17:19

 

 静岡の吉田町が夏休みを完全閉校の10日間だけにして、毎日の授業を5時間以内に抑えることにしようと、勝手に決めたということを聞いた。「勝手に」というのは、決める前に提案の趣旨を明確にし、学校現場や家庭・保護者、地域の意見を聞き、関係する人びと、とりわけ子どもや教職員の意見を聞き、時間をある程度かけて決めるという「面倒な作業」をしなかったということだ。

 

 最近は、「面倒くさい」というのが、一番嫌われるようなことになってしまった。吉田町で決めた人たちは「面倒くさい」と思ったのだろう。ちょっと前までは、「面倒くさい」のは、「どうでもいいことに時間をかける」ということだった。しかし、今では、じっくりと思考すること、時間をかけて話し合うことの言い換えになってしまった。曰く「話し合ったって無駄」という人びとの気持ちが強くなったのだろう。みんなヤンキー(斎藤環さんの言葉)になってしまったようだ。

 

 エーリッヒ・フロムは『自由からの逃走』で権威主義的人間について論じているが、支配される願望という中で、「無意識に指導者に服従する」ファシズム兆候を述べている。なんだか、決めた人たちと、決められた人たちのことを暗示しているのかなと思う。

 

 夏休みが短くなれば、子どもと学校教職員以外は、みんな『ラク』になる。とりわけ、親の中には長い夏休みの間、子どもの世話をしなくてすむのでラクだと強く思う人もいるだろう。ひょっとしたら、子どもの中にも家でごろごろするよりラクだと思うかもしれない。先生たちの中にも「どうせ夏休みだって、仕事させられるんだから、子どもが来ても、いいさ」と思うひともいるだろう。外からは、「先生は夏休みも給料が出ているんだから、仕事して当然でしょう」みたいな話が、どんどん来るんだろうなと思う。

 

 でも、やはり、「夏休みは、家庭でのんびり、過ごしたい」という子どもはたくさんいると思う。「自分も、子どものころ、夏休みは楽しかったから、子どもにも楽しませてやりたい」と思っている親も、きっといると思う。

 

 私は、子どもはやっぱり「夏休みはたっぷり100日くらい学校を休みたい」と思っていると確信している。ま、かなり不安だけど。子どもたちは、なんだかんだといって、学校で頑張っているから、できれば、宿題もなくして、しっかりと休みに遊べるといいんだけどなあと思う。子どもが学校のことを忘れて、のんびりできたらいいのにと思う。

 

 ところが、「夏休みも、塾の合宿があったり、宿題がでたりしているし、進学補強の集中講座もあるから、そんなにのんびりできません」とか「家にだれもいなくなるので、子ども一人を置いておくのは不安なんです」とか、「親としては、学童保育や他の施設で面倒見てもらうとお金がかかるから、学校で夏休みを見てもらえば経済的です」とか、まあ、『夏休み10日論』というか「夏休み廃止論」は支持される要因も、その是非は別にして、あるのだ。

 

 教員としての夏休みは、つまんない研修とか書類の片付けとか、備品整理、教材研究など、いろいろあるけれど、基本的には日々の膨大な無給超過勤務の相殺のためには、「余分に働いた時間を夏休みにまとめてお返し願いたい」という正しい論理である。

 

 それに、自己研修もしたい。教員も教養を広めるために、いろいろ研修したいのだ。二学期に向けてやりたい授業を時間をかけて(仕事として)考えたい。

 

 「夏休みは研修と称して教員は遊んでいる!けしからん」と言う人もいるが、「その指摘はあたりません、まったく問題ありません」なのだ。年間の超過勤務、しかも無給を、夏休みなどの休暇に近い勤務でチャラにしてあげているんだから、文句言う方がおかしいと思ってきた。私など、できるだけ定時退勤を心がけてきたが、家に仕事をかなり持ち帰った。だから、堂々と夏休みは「先生も夏休みでいいんだよ」と親や子どもたちに説明した。

 

 吉田町は「夏休みに授業を増やすかわりに、毎日の授業を5時間にすれば、子どもも日々の授業時間が減り、子どもを早く帰して仕事ができるから、教員も負担も減る」とトンチンカンなことを言っている。そもそも、学習指導要領で内容をてんこもりにして、授業時間を増やしたところに問題があるのだ。子どもと関わる時間が増えれば、それに関わるケア、手間ですけどね、それも増えるに決まっているから、結局、無給超過残業と持ち帰り残業の日数が増量するだけだ。これは確信を持って言える。

 

 なんだか、この「夏休み10日間」賛同の大人は、「子どものため」「学力向上のため」「家庭の負担を減らす」という、もっともらしい言葉を並べているが、結局は「手間のかかる子どもに対する憎しみ」が根底にあるような気がする。「わーい、夏休みだ、うれしいなあ」という無邪気な子どもの声がきっと嫌いなのだろうなあ。なんだかさみしいし、「灰色の男」たちがどんどん増殖しているような気がする。

 

 私は、子どもは、暇をもてあましながら、しっかりと遊んでいないとダメなような気がする。退屈だ!暇だ!なあというくらいで、ちょうどいい。子どもは遊んでなんぼでしょう。それを放っておいたり、見守れる余裕や力が、大人社会にないとダメなのになあと。寛容さやゆとりがなくなったのは、大人社会なのだと思う。定時退勤もできない、有給休暇も取れないとぼやく大人が、「子どもだけ長期休みはけしからん」と言っているような、ルサンチマン全開のような気がする。

 

 もう一度「夏休みの意味」を考えたらどうだろうか? どうして子どもが学校を休んで遊んだらいけないのか? 名古屋は40日くらいしっかりと夏休みだけど、ほんとうに、子どもたちは嬉しそうだし、楽しみにしているよ。夏「休み」なのに、宿題を出すという発想の方がまちがっているような気もしていた。

 

*ぼくが教員になったころは、先輩たちが「夏休みがあるから先生になったんだ」ということが普通に言われていた。ぼくも、五分の一くらいはそうだけど、それって、すてきなことだと思うんだけどな。人間って、忙しく、中身がいつも濃くなくちゃいけないのだろうか?……と、人生の8回表になっても悩む。

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