4月7日(金曜日) 教科書を教えるってか……??

  • 2017.04.07 Friday
  • 23:36

 

 子どもたちは、新学期に、ぴかぴかの教科書や練習帳を手に取ると、今までの、勉強のつらさも忘れて、学習への気持が高ぶってくるようだ。

 

 私は、新しい教科書を使うとき、いつも表紙の開き方からはじめる。表紙の折り線に爪をあてて、しっかりと、かつ、ていねいに開くのだ。中のページも繰るたびに真ん中に折り目をつけることは低学年のころからやっておかないとクセがつかない。

 

 名前もできるかぎり自分でしっかり書いてもらう。練習帳などは友だちが配ってくれることもあるから、名前の漢字に読みの難しいものがあれば、読みがなをつけてもらう。表紙の絵や図、表紙の裏や目次などもていねいに読んでいく。これから半年、あるいは一年間付き合うことになる教科書は大事にするというよりも、使い込むために丁寧に扱おうということだ。

 

 子どもたちに教科書の値段を伝えることがある。「全部で三千円から四千円するんだよ」とか、「理科の教科書は956円だ。そのお金はみんなのお家の人たちが払っている税金から出ているんだ」などと話す。「なくしたり、汚したりして新しく買うのは大変だからね」と使い捨ての文化の中では、若干説教臭くなるが、これも教師の仕事と考え、話すことにしている。

 

 昨年は教科書の出版と採択に関わる「不適切謝礼」問題が各地で起きていた。もう、わすれちゃっているだろうけど。当時の報道によれば全国どこの地域でも多かれ少なかれあるという。もともと、教科書は学校独自で選択していたものが、教育委員会が地域で広域に採択し、決めることになっている。

 

 教科書会社にしてみれば商品だからたくさん売りたいし、少しでは赤字になる。それは十分に理解できる、しかしホンネでは「以前は、現場の先生たちと話し合っていたんですが、今では、文科省の検定に通り、教育委員会に選んでもらうことに必死なんです」ということらしい。

 

 本来なら、教科書は子どもたちの声も聞きながら、現場の教師や親と創ったり、選んだりすべきだ。少なくとも各学校で裁量されるべきなのだ。責任を負うというのは、自分の為すべき事をはっきりさせることなのであり、教師ならば、どんな材料を使って、どう教えるか自らが決めることだろう。与えられた教科書「を」教えていれば責任を果たしたということではないと思うのだ。

 

 先日の道徳の教科書(これ自体が、はぁ?の世界なんだけど)で、和菓子屋さんとパン屋さんの問題があった。いろいろ論議はあるし、批判されて当然なんだけど、その文科省の付帯意見(これは、隠れた強制的な意見なのだが)のレベルの低さに、どん引きした。ただ、しょせん、教科書なんて、こんなもんなんだろうなと思ってしまう。
 だから、いくら「良い教科書」であろうと、中身をよく吟味しながら、教科書「で」教えなければ、教師とは言わない。「検定済み」であろうと、「なんでもかんでも教科書どおりに教えます」では困る。それは、たんなる「検定教科書ソフト」のロボットにすぎない。

K201604

 

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