2月18日(土曜日) 宮台さんの連続講座 第4回

  • 2017.02.18 Saturday
  • 18:09

 

 昨日の土曜日は町田の鶴川で『お・は』「宮台真司:男親の社会学」連載のための公開取材という連続講座。30人ほどの若い人から初老(笑)まで、男性もたくさんでもりあがった。

 

 事前30分の打ち合わせで「今日はどうしましょう」と宮台真司さんと聞き手の尹雄大さんで話し合う。と言っても聞き手である尹さんが一番の大変。ぼくは司会だし、適当に口を挟むだけなので気がラク……と言うと尹さんに叱られるか。

 

 宮台さんの話は「難しくおもしろい」と言われる。宮台さんの思考スピードについて行く快感もあるが、そのときメモした言葉で、自分の創造力でまた考えるのも楽しい。

 

 今回は、「風景の違いを想像する力」ということが宮台さんから出された。つまり、政策の一つ一つにしろ、論議する中で出てくる意見や企画について、それが街の景色をどう変えるか、あるいは、自分の立ち位置をどう変えていくかを想像できることが重要で、今のようなトランプ現象を支える意識にはこの「想像する力の消失」つまり「劣化」があるのだということだ。それを加速化させているのが、メディア操作だ。

 

 もう一つ、「昭和の家父長制大好きオヤジ」は結局、男に絶望した妻や娘が育ててしまったのではないかという話。これは、確かにそうだよなあと思った。

 

 この講座の詳細は『ち・お』や『お・は』の定期購読の人に特別サービスとして配布される。そのことを知りたい人はジャパンマシニストにご連絡を→営業になりました。

 

 この公開講座の後、何人かの参加者とお茶を飲みました。いろいろと質問したり、されたりして楽しく過ごしました。しかし、それに参加していた一人のお父さんに、淡々と家事や育児をしつつ連れ合いとの関係も構築するという「力強」さを感じました。

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    1月13日金曜日  悪いと思うのならまず謝罪、そうでなければ簡単に謝罪するな!

    • 2017.01.13 Friday
    • 21:54

    →これは、25年前に担任した一年生のNくんが作ってれたいるか。

     

     こどもたちが悪さをすると、先生は教科書的な理詰めで叱責する。理詰めになるのは、「一方的に叱るだけではダメ。きちんと叱る理由を説明して、子どもがちゃんと納得しないといけない」という、なにやら教育的な習慣的指示があるからだ。

     

     だが、子どもに説明をし、納得を求めてもダメなときもあるのだ。しかも、そういうことを子どもの方も嫌がることがある。今まで、ボクは中学年くらいまでは、子ども自身でさえ、自分のしたことを論理的には、なかなか説明ができないことが多いものだと思ってきた。とりわけ男子はその傾向が強かった……経験的に。

     

     最近は、高学年でも「説明が下手」だ。なぜかというと、普通は、自分が悪かったらまず謝罪するというのが順序で、その上で、「でも、先生、実は……」とか「聴いてくださいよ……」とくるはずだった。しかし、最近はそういうことがほとんどなく、いきなり「だって……」「ボクだけじゃあないのに……」という言い訳的感情が先に来るからだ。理屈は感情でなく、客観的に自分を見ることができないといけない。

     

     勤勉実直な先生が「どうしてそういうことやるの?」と悪さの理由を聞きながら叱責しても、子どもたちは??? だって、いたずらはおもしろいからやるのであって、それ以上でも以下でもない。だから、いくら理由を聞かれても、悪いなとかまずかったなと思ったら「ごめんなさい」という他ないのだ。

     

     悪さをしたら「君のやったことは良くないことだと分かっている?」と聞くだけでいい。たいていは分かっていることが多い。で、分かっているのだったら、ごめんなさいと謝罪するほか無いわけであって、理由や言い訳はそのあとの話だ。

     

     先生の中には、やたらと理屈っぽい先生がいて、とうてい子どもには理解できないようなことを、ごたごたしゃべっている人がいる。

     「そもそも、あなたの日頃の様子を見ていると……」などと始まると、大抵は、1分ですむ叱責も、15分くらいかかり、しかも、子どもは聴いているふりをしてるだけで、まったく聴いていない……のが普通。

     

     小学生くらいなら、叱るときはシンプルに叱ればいい。以前「一方的に先生はしかるだけですか?」と嫌みな聴かれ方をしたことがある、保護者から。でも、一方的に叱るなんてコトはまずない。かならず「君の言い分があれば、聴くが、まず、悪かったと認めるのなら謝罪が先だよな」とボクは言う。

     

     「一方的」というのは、ときに優先順位だったりするのだ。いくら、どんな理由があるにせよ、子どものケンカならまず、「悪いと思ったら謝罪する」ということだ。そして「悪い」と思わないのなら謝罪する必要はない。即、話し合いをするしかない。そして納得や了承がある。それは感情的で、不満がのこっても、関係を調整するためには、相互に話をしたら「謝罪と許し」が必要だということ。

     

     とにかく、大人は 子どもがいたずらや悪さをしたら、その悪さをしたことを叱ればいいのであって、「そもそもあんたは……」と人格や性格、成績に結びつけてしかるのは、学校ではやめるべきだ。(2013年ごろ書いた文章に加筆)

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      1月8日(日) 入学する一年生のデフォルト(初期設定)はなにか?

      • 2017.01.08 Sunday
      • 21:53

       

       一年生に入学する前に、「入学説明会」というのがどこの学校でも行われる。小学校の場合だとプリントが配布されて、「入学するまでに身につけるべき習慣」などと銘打って、いろいろなことが書かれている。たとえば、決まった時刻に起きて寝ましょう、トイレを使った後、水を流せる、傘を一人で片付けることができる……などなど。

       

       まあ、これらのことは、現場感覚からいうと、「一応、期待しているよ」ってくらいの感覚で、これができなきゃダメとか、入学させないなんていう気持ちを持っている先生なんていないだろうと思う。「給食で出されたものは、なんでも食べられる」なんてのがあったりすると、ずっこける。そんなの無理。いいんですよ、残せばね。だんだん大きくなって、「好きじゃないけど、健康にいいから食べようか」って思うようになれば、食べます。何でも食べるって、ストレス食いじゃないんだから。「片付けるときも食器は投げないでね」とか「走りながら食べないでね」ということからぼくは教えてきた。

       

       もちろん、担任した子どもたちの半数が、トイレでうんこ流さないとなると困るけど、これなんかは、「流せよな」と言えばいいし、しかたがないなあと先生が流しに行くしかない。「人のうんこなんか、気持ち悪くて、先生もいやだから、頼むから、自分で流してくれよな」って、クラスの子の前ででかい声で頼めばいいのだ。でも、そんな子、半分もいないでしょう。とにかく、いろいろな子がいるんだから、自分の名前が読めなかったとしてもしょうがないし、「おはよう」といえなくてもしょうがない。「だんだん、できるようにしましょうね」とやさしく、ほほえみつつも、目がキラリで、ゆっくり教えていくのが、一年生のベテラン教師である。

       

       しかし、今、親たちはもっと大変なのだ。「オカザキセンセ、五十音は全部書けないと、落ちこぼれますか?」などと親御さんに聞かれることがある。いやいやそんなことはありません。五十音は、書けない・読めないというのが、本来のスタートラインですからね。ところが、すでに読めて書ける子がけっこういるので、それを基準にしてしまう先生がいるので困る。塾や幼保も、「書けないとダメですよ!」って脅したりするのでもっと困る。

       

       逆に、書けて読める子は「それでおわり」だと思っているから始末が悪い。実は、書けて読めて、それがどうした!……なのだ。自分ができるから、ちょっと先を行っているように思って、授業は気分がいいかもしれないが、それでは、新鮮さもないので、だんだんつまらなくなっていく。しかも、書き方が雑だと、致命的になる。かえって、自信なげにゆっくりじっくり書いている子の方が、先は楽しい。

       

       入学前は、それよりも、元気にたくましく遊べる方がいい。あるいは、好きなことなら集中できる子がいい。最近は、「おりこーちゃん」が多すぎるし、そういう子ばかりに慣れてしまっている先生が多すぎる。子どもなんて、もともとやっかいで、めんどうで、動き回っているものだ。それが、デフォルト(初期設定)なんだからね。そこから、カスタマイズし、グレードアップ、バージョンアップしていけばいいんだ。で、それが、教育や子育てというもの。

       

       簡単すぎたり、ラクすぎたりすることで「失うもの」はたくさんある。手間暇かけてなんぼなのだ。一年生なんて、楽しく学校へ行ければそれで十分くらいに思っていてください、親御さんは。先生は、学ぶことがいかに楽しいかを工夫して教えることが給料分の仕事だと思った方がいい。寄り道もいいし、ちょっとでもおもしろい授業をしよう……と決意すればいいのだ。

       

        ぼくは、こんな本も書いていたな。

        http://www.japama.jp/cgi-bin/detail.cgi?data_id=300
       

       

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        12月24日 クリスマス編集会議 in 渋谷

        • 2016.12.24 Saturday
        • 22:37

         

         今日は、クリスマスイブ……なのに、『ち・お』『お・は』編集会議を渋谷で。11時半に名古屋を出発した。石川憲彦、山田真 両御大に、ヤング桜井智恵子他の編集協力人と、新編集人奥田さんと豪華な顔ぶれで、会議に突入。『お・は』の今後についてもいろいろと話す。

         ジャパンマシニストフェイスブックで、岡崎編集人の『お・は』紹介動画を近々アップすることが確認された。一応、見苦しいことも考慮して、お面をかぶることも考え中。

         

         さて、名古屋へ午後8時40分着。名古屋駅はクリスマスムードでてんやわんや。歩けない……。ほっぺにシールをはった若者が集団で動く。ところどころにサンタの服装の女の子もいるぞ。すごいなあ。クリスマスイブなんて、しばらく外出したこと無かったから、久しぶりで……す。

         

         品川の新幹線ホームでのシンデレラ・エクスプレスを期待したが、そんなカップルはいなかった。しかし、地下鉄に乗って、若干お疲れムードで、浜田省吾2016JBOY(30thAnniversary)を聞きながら座っていると、正面に若いカップル。彼女はうれしそうに4℃のパッケージを大事に抱えている。やったねえー! 若い人が幸せそうにしていると、うれしくなる(笑)。

         

         とっても気分よく直帰できました。ジャパマのスタッフから「お菓子入りソックス」もうれしかったですよ。

         

         

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          学校ってどんなところ?

          • 2016.12.13 Tuesday
          • 17:36

          ある情報誌に書いた文章です。

           ……さて、第一回は、学校はどんなところか?ということを説明します。もちろん、みなさんは「見れば分かるじゃん」と言うかも知れませんが、じつは、「学校ってどんなところ?」と聞くと、色々な答えが返ってきます。

           ボクはずっと担任をしていましたから、子どもたちとよく話をしました。すると、こういう「学校、どう思う?」と聞くと、おもしろい答えをたくさんしてくれました。たとえば、「学校はたいくつなところ」「学校はつまらない、めんどくさいところ」とか、「学校は嫌いだ」「学校をバクダンでこわしたい」なんて言う子もいました。

           もちろんジョーダンも入っていますから、そんなにまじめにこたえる必要はないのですが、それでも、さいしょに思ったのは、あっ、ボクのちいさいときと同じだってことです。実は、ボクも学校をこわしたいと思っていました。でも、学校はともだちと遊べるから好きでもあったのです。「学校はきらいだけど、友だちがいるので行きたい」という子は意外とたくさんいるのではないでしょうか。「家にいて、おかあさんのどなり声を聞くより、学校に行った方がましだ」と言う子もいましたね。

           みなさんは、いろいろな考えを学校にたいしてもっていますが、実は、おとなたちはどうでしょうか? 多分、大人たちは、「子どもは学校で、勉強してかしこくなってほしい」と思っているでしょうね。でもみなさんは、「学校で勉強してかしこくなろう」と思っていますか? 多分、勉強してテストでいい点数をとろうと思っている人はいるでしょうね。でも、テストでいい点を取ることと、かしこくなることと同じでしょうか? 親たちも「かしこい」=「いい点数」だと思っている人も多いかも知れませんね。

           でも、岡崎センセは、点数のよい子がかしこい子だとは思いません。ボクは学校というところは、「一人前の大人になるためのじゅんびをするところ」だと思っています。ですから、点数がよくても、ともだちとうまくつきあえない(だれとでも仲良くできなくてもいいんだけよ。適当に付き合うということ。)とか、自分の仕事(掃除や給食当番)がしっかりできないとか、自分の思っていることをきちんとみんなに伝えられないとか、そういうことがあっては、一人前になれませんし、かしこいとは言わないと思います。

           一番困るのは、点数だけがいいのだけれど、いじわるだったり、自分の事が自分でできなかったりすることです。もちろん、最初からかしこい子なんていません。みんなで一緒に勉強したり、いっしょに生活したりすることでかしこくなっていきます。さいしょからかしこい子なんていません。

           「岡崎センセ、じゃあ、教科書の勉強は、一人前になるためにどんな役にたつんですか?」と聞かれたことがあります。それをまた次に考えましょう。

          『たねまき新聞012016/5月より

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            11月04日(金曜日) いつから、子どもは変わっていくんだろう?

            • 2016.11.04 Friday
            • 23:15

             

             休み時間が終わって、子どもたちが靴箱で、上靴に履き替えて、教室へ向かう。そのときに、「ちょっとーまってぇー」と靴を慌てて履き替えてつまずいた子が、先に行く子に声をかける。すると、「はやくしろよー」といいながらも、数人のうちのひとりが「おれが待ってるから、はやくしろー」と叫ぶ。私は、その横を理科室に向かい、「いい子たちだなー」と思いながら、教室へ入るのが遅れて、二人の友情(笑)を、先生に叱られなければいいがと念じる。

             

             子どもたちには、往々にしてこんなときがある。一人が遅れたり、失敗したときに、「よし、わかった、まっててやるよ」とか、「よし、おれにまかせておけ」なんて大人びた言い方で、その一人を支えたり、カバーしたりすることがよくある。特に、友だちを大事にしようとか、友情とか、友だち想いとかではなく、たんに、「一人で置いておく」ことに「違和感」を感じているように見える。

             

             そういうシーンを学校でよく見てきた。子どもたちを観ていると、自然に、友だちの出したゴミを片づけたり、忘れ物を持って行ってあげたり、自然にする。以前、ゆとり批判で、「運動会の徒競走を手を繋いでゴールする」というようなこと(ホントにあったんだろうか?)が言われた。「仲良しなんだから、手を繋いでゴールしなさい」なんていうのは論外で、勘弁して欲しいのだが、時として、子どもたちの中には、それほど考えずに、自分が立ち止まり、友だちをゴール前で待っている子がけっこういる。しかし、こうした「つながり」が、だんだんと消えていくことも確かだ。

             

             低学年で、二人一組で五十メートル走の運動能力テストをするとき、以前、私は、ゴールまで先に走っている子が遅く走る子に合わせて走っているのを、何度も何度も観た。先生が「どうして、最後ダッシュしないの(怒)、競争しているんだから、待っていなくていいの(怒)」と怒っているのも何度もよく見た。私は、笑いながら、同タイムと記録係に知らせた。だって、低学年の子にとって、五十メートル走の記録に目くじら立てて、なんの意味があるんだよ!と想うからだ。たかだか、一秒や二秒がなんだよと想うからだ。現職時代はずっとスポーツテスト強制に反対してきた。力及ばずの結果だったが。

             

             ところが、高学年になると、記録に執着するし、ゴール前で待っている子なんていない。まあ、途中で、「どうせ走ってもいい記録でないし……」と想って、一生懸命走っているフリしている子はけっこういるけど。そもそも運動能力テスト(スポーツテストに意味や意義を感じていないので)で力を抜いている子がいてもぜんぜんかまわない。(拙著『身体教育の神話と構造』に詳細に論じている)むろん、しっかりやりたい子はそれはそれでいい。

             

             競争原理に圧倒されて、もともと自然に身についていた協働原理を子どもはいつ放棄?あるいは忘却?してしまうのだろうか?と時々考える。助け合うとか協力することが「美しい」と言っているのではない。「協働することが人間の本質」と考えるのは間違いなのだろうか?と言うことなのだ。

             

             競争原理と協働原理の問題は、私が二十代中盤つまり、教員になったころからの課題で、かなり考え、書いて、論争してきた。競争原理を全否定するつもりはないが、小さい頃、子どもたちが自然に持っていた「いっしょに走ろう」という意識はどうして消失するのだろうか?答えが分かっているようで、分かっていない。人間は、「助けよう」と強く想わないと、人を助けることはできないのだろうか?悩む。

             

             

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              10月02日日曜日  みんなちがって、みんないっしょ……の意味

              • 2016.10.04 Tuesday
              • 11:51

               障害を持つ子どもたちと自分の向き合い方について色々と考える機会があった。先日、障害者・児の生活を考える集まりで話を頼まれて参加したからだ。

               

               「みんなちがって、みんないっしょ」というインクルーシブや共育共生を中心に据えた集まりであった。保育師や教員、障害児を持つ保護者のみなさんがたくさん集まった。

               

               この講演・学習会は毎年行われており、伝統的というか、立ち上げの時期からぼくも浅からぬ縁で関わってきた。当時、小さかった小学生の子どもたちが元気に巨大化しており、うれしかった。

               

               ぼくの話の中身は、「課題や障害をもった子と、自分がどう付き合ってきたかのか」という話だから、具体的なイメージのわく学校などのシーンを伝えながら、できるだけ元気になって、明日も頑張ろうという具合にいけばいいなと思って話した。

               

               ポイントしては、いくつか考えていったのだが、基本的には、「面倒で、手のかかる問題」からしか人間は学ばない。だから「困難」をまえにしたときは、学習機会だ!くらいに考えて向き合わないと疲れる。学習機会だから成功するとは限らない。でも、たとえ失敗しても次のチャンスが積極的に待てる……くらいに考えるのが良い。

               

               それから、手をかけることや、その子のためにと思っていることも、本人が本当にいいと思っているかどうか?よく考える必要がある。善意・教育・思いやり・親切は、こちら側は常に良きことだと思っていても、相手にとっては「?」というコトも多い。慎重になることが必要だということ。

               

               質問もいくつか出てきたが、障害をもっているから障害児学級(特別支援学級)という流れは、必ずしも当てにならないということを話した。障害の程度も色々あるが、建物や箱が問題なのではなく、そこでどんな生活をするかが重要なのだ。できるだけ、色々な子どものいる、雑多で、普通の社会で一緒に生活した方がよい。それに、障害をもった子どもだけでなく、障害をもっていない子どもにとってもよいのだ。

               

               最後の会食会では、家族の問題をいろいろと話した。誤解を恐れずに言うと、国家的課題が今大きく生活に影響しているが、同じくらい「男子問題」や「家族問題」が子育てに影響している。競争原理や弱肉強食に慣れきった親に育てられる子どもたちは「弱者」になれず、非常にキツイ生活をしている。「弱者」であっても大丈夫という社会の構成が急務なのだ。「勝たなければダメだ」という親こそ、一人になったときや老いたとき、自信を失い、きっと深い闇に驚愕するだろう。「弱者」と自分が無関係だと思っている人こそ危うい。

               

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                9月29日木曜日 『お・は』93号できあがる! 進路の迷路

                • 2016.09.29 Thursday
                • 17:12

                 

                 oha 93号はかなりおもしろくできあがりました。『親にできる進路アドバイス』という特集です。

                 

                進路は親にとっては悩ましいことです。ま、子どもが幾つになっても「心配」なのですが、最終的には本人が精一杯考えるしかありません。

                 

                でも、親としては、とりわけ、節目にあたる、各学校の卒業の時期は、心配も増量します。学力、やる気、経済(要するに教育費)の状態など考えると、あまり楽観的にはなれません。しかし、じゃあ、どれだけ考えればいいのか???これも……です。
                 そんな悩みに迫る特集です。

                 

                 とと姉ちゃんの「あなたの暮らし」的「暮しの手帖」のポリシーは、『お・は』的でもあるので、おどろき感動する。
                1)宣伝を取らない 2)弱き者の立場に立つ 3)あとから読んでも十分に読み応えのある、いつまでも色あせない特集や連載
                 『お・は』もそうなんです……です……です。昔の特集でも、十分に読み応えがあって、一冊ずつがそれぞれ、十分に今を生きるために十分に中身が濃い。

                 

                 今号からボクのヘタヘタマンガも連載開始です。評判上々です。「しかしヘタだなあ……」と。

                 

                 ぼくの連載も、PTAです。

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                  9月16日(金曜日)S県H市の小学校PTAで話したこと

                  • 2016.09.16 Friday
                  • 22:33

                   

                  H市の小学校のPTAで話を依頼された。保護者のいくつかの質問に答える形で45分程度話す。たくさんの保護者が集まってくれて、音楽室はいっぱいだった。

                   

                  正直、45分はけっこう短いなと想ったが、5つの質問にそれぞれ答えていくのは、簡単なようでむつかしい。

                  たとえば、「朝の支度〜夜寝るまで、ずっと、○○しなさいよー、と言っぱなしです。学校の先生からも、マイペースだと言われました。早く動けるスイッチが入る、いい言葉かけはありますか?」というような質問に10分以内で答えていくことになるが、あるていど予習(笑)はしてあるものの、保護者の顔色を見ながら、付け加えたり、かみ砕いて話をする。

                   

                  こういう問いの答えは、子どもにもいろいろだから、単純にはいかない。上記の質問だって、これだけで、二時間くらい話せるし、意見交換すればもっとたくさんの論議ができるだろう。子どもも参加するともっと面白いことになるだろう。なかなか適切な解答は難しい。

                   

                   ぼくがふと想ったのは、たとえば「明日の準備」ひとつにしても、おそらく低学年の頃は親も子どもと一緒に準備していたかもしれないが、そのときに、結局、親が子どもの代わりに準備してしまっていたのではないかということだ。子どもと一緒にするということは、準備する子どもを見守るということで、肩代わりすることではない。逆に、子どもに「お母さんが一緒に手伝うけど、なにをすればいいの?」と聞いて、本人に言わせるくらいがちょうどいいのだ。あくまで、子どもが自分ですることが目標なのだから。

                   

                  今日は、男の子の問題も最後に話した。これは、是非聞いて欲しかったからだ。男の子が自立するのは難しいのだ。宇宙人的な感じで男の子を見ている親も多いのだが、じっさい、未熟さが目立ってしまうこともある。できるだけ、子どもと距離を取って、失敗をどきどきしながらも、見守るという勇気が親には、とくに母親には必要な気がする。とりわけ、思春期をうまく通過すると、親に憎まれ口を叩きながらも、自立していくと、ボクは思っている。

                   

                  今日は、PTAの役員のみなさんが一生懸命に会場づくりから運営までこまめに動いて下さった。何度もメールでのうち合わせがあり、そのつど仕事のできる人達なんだろうなあと、想った(偉そうにすみません)。うわさの「うなぎパイ」もいただいた、うれしかったです。

                   

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                    9月7日(水曜日) 高学年って何者? いえいえ子どもです。

                    • 2016.09.07 Wednesday
                    • 20:09

                     まず、秋の講演会。まだ余裕あります。なんでも薬という条件反射を検討しましょうと。 

                    アーレの樹 秋の講演会  
                    『発達障害と薬の使い方を考える』
                    講師 小児精神科医 石川憲彦 先生

                    2016年10月23日日曜日午後1時から3時まで
                    場所: 愛知学院大学日進キャンパス  愛知県日進市岩崎町阿良池12 
                    定員: 200名  参加費:1500円
                    主催: 一般社団法人 アーレの樹 愛知県日進市梅森台4丁目66
                    電話 052-807-2585 FAX 052-864-7005
                    申込み方法:仮予約 
                    ‥渡辰FAXでお名前、住所、電話、メールアドレス(ある方のみ)
                    ▲◆璽譴亮HP:http://aarrenoki.org/event/   の下の方にある
                     「イベントのお問い合わせ、申し込み」から

                    仮予約後、参加費納入手続きなど詳細について、こちらから御連絡します。

                    お問い合わせ:一般社団法人 アーレの樹 052−807−2585
                                メールaarre-event@aarrenoki.org

                     

                     

                    今日、いつものように、理科の時間の最後、ほんの少しだけ時間があったので、「クイズ」を出した。「女の子に男の子が告ったんだけど、桜の木のしたではふられたのに、紅葉の木のしたではいいよって言われたんだ。なぜか?」と。

                     

                    すると、さすが六年生「桜は散るから、ざんねんってことだ」と名解答。だが、実は、「気が変わった」→「木が変わった」というのが正解。子どもたちは授業中も熱心に聞いてくれるのだが、こういうクイズにも、本当に頭をしっかり働かせてくれる。これからは現実の生活の中で、教科書に書いていない「難問」を解いて生きて行かなくてはならない。高学年には、色々な場面で、立ち向かっていって欲しい。彼らの真剣な姿も、ふざけている姿も、みんないいなと想う。

                     

                    さて、こんど11月30日に全国学童保育の大会が愛知で開催される。その分科会でぼくが問題提起をする。高学年ってなんだよ!という感じで。そのときに基本のレジュメが必要と言われていたので、書いて見た。それをちょっとここで開示する。レジュメなので、抽象的というか端折っているところもあって、同居人の厳しい批判に耐え、作った。当日は具体的な話を中心にしようと想っている。お時間のある方はおいで下さい。申込み方法はここをクリック。

                     

                    1 「めんどくさい」という口癖の「高学年」の子どもたち

                     学校では「勉強」「友だち」「容姿」など、子どもたちが気にするテーマは数多くある。多様でもあり、画一的でもあり、複雑である。

                     特に女の子たちの「友だち関係」は難しい。SNS、交換ノート、恋バナ、買い物(消費活動)などで楽しみながらも、トラブルは多い。そこには、他者を気にしすぎて自由になれない「キツさ」も目立っている。

                     一方では、男の子にも特徴的な「未熟さ」が目立つ。「べつに」「無理」「めんどくさ」「うざ」のリフレインで私達を疲れさせる。しかし、それは彼らの生きにくさの現れでもある。

                     だからこそ、先入観を排し、冷静に対峙すれば、「高学年」の子どもたちから「付き合い方」を学ぶことは多い。

                     

                    2 教員と「高学年」との関係の難しさ

                     高学年の学級崩壊は、ときに学校崩壊を招く。また、「子どもたちに声が届かない」状態で悩んでいる教員も多い。

                     子どもたちの様々な「格差」(学習理解、文化資本、教育投資、身体・言語・感性 等々)に教員は翻弄される。仕事の優先順位もはっきりしないままに、その多さと複雑さに流されて、多忙感に麻痺し、余裕無く、しっかりと子どもたちと対峙できない。

                     理不尽で非論理的な学校管理の改善はなかなかはかどらない。「子どものため」論ですべてを回収して、同調圧力に負けていくなら、自分の心身を壊し、子どもの人権の確立にはほど遠い。

                     子どもとの現実的な付き合いの中で、子どもたちのおもしろさに出会うことが今必要である。

                     

                    3 「高学年」の子を持つ親の「困難」

                     思春期である高学年の子どもとどうコミュニケーションを取ったらいいか悩む親は多い。つい「過剰なケア」をしてしまうことで、親子関係が煮詰まっていく。子どもに対して「一人前」どころか「半人前にもなっていない」と断じる親は、「見守る」こともなかなかできない。場合によっては「子どもとの共依存」に向かうことさえある。

                     「自立させなければ」と親は考えるが、生活の実態や現実的な親子関係は、自立どころか、親が子どもの「執事」になっていたり、親の付加価値的存在になっていたりする。

                     「見守る」こと、ゆっくり育てること、言葉だけでつながろうとしないこと、距離を取ること……親も鍛えられる。

                     

                    4 「高学年」に今、何が必要か?

                     ・学校で充実した生活ができること。「生活の場」としての学校でありたい

                     ・いつもそばに、年上のよき案内人を。

                     ・いたずらに他者と比較して評価しないこと。

                     ・「みんな」とは誰かを考えながら、問題を検証すること。

                     ・地域へ帰ることの必要性。NGO、地域の集い、大人との付き合い……

                     ・指導者・教員との関係から、人対人という関係へ。

                     ・親と距離を取り(つまり離れ)、自分の世界を創ること。

                     

                    5 社会の問題や課題は子どもを育てることから「遠い」のか?

                     格差問題や、労働条件の劣悪さ、コミュニケーションツールとしてのSNS問題、社会の競争原理などの影響は如実に子どもに反映していく。子育てに関わる者がその社会の課題をしっかりと受け止めていかないと、子どもの問題を解決することは難しい。

                     いじめや不登校、学力格差、貧困など多くの子育て・教育問題は目先のことだけで解決できる問題ではない。私たち大人が、もっと子どもに目を向け、子どもから自分自身のあり方を問い直すような視点を持つべきだと思う。

                     大人社会が、元気で、おおらかで、寛容であれば子は何とか育つものだ。

                     

                     

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