9月15日(日曜日)「登校拒否を考える会・静岡」でのお話

  • 2019.09.15 Sunday
  • 18:46

 

 今日の午後は「登校拒否を考える会・静岡」という老舗の市民の会に伺って、学校へ行けない、行かない子ども達の話をさせてもらった。技半から4時半までの3時間一本勝負である。

 

 もともとは、『おそい・はやい・ひくい・たかい』106号ができあがって、一段落ついたときにこの会の会報を読んだ。この老舗の会がずーっと活動を地道にすすめていることに敬意をはらっていたが、きっかけは、一度伺ってみようと思ったことに始まる。

 

 何度か、手紙のやりとりの後に、今日を迎えた。会場は60名くらいの人が入っており、不登校の子を持つ、持っていた、持つかもしれない人ばかりだと思う。教員もいてくれるとうれしいが、いなかったかな? 調査してるわけじゃないんだけど。

 

 いくつかのポイントに絞って話したが、結論的に言うと、本人が学校へ行こうという「気持ち」があって、行くエネルギーと環境が整わなくては再登校は難しい。だが、学校へ行くことができるようになることが、必ずしも「善きこと」とは言えない。自分を傷つけながら行くことはないし、行くべきではないというのがボクの主旨である。子どもは元気であれ!というところが基本だという話。

 

 そして、親のしんどさやめんどくささは当然あるが、それを回避することができるとは思えないということも付け加えた。子育てはどんなときも面倒であるし、エネルギーのいることなのだ。そのことは親は肝に銘じる必要がある。子どもと関わる時間が延びているのも現代社会の特徴だ。それは悩ましいことかもしれないが、子どもに責任はない。もちろん、懸命な親にだって責任はない。親自身が元気になれるような暮らし方をしてほしい。

 

 子育てが必要以上にしんどいのは、おそらく、社会的寛容が低下しているからだろうと思う。物の所有水準は全体的に上がっているのに、気持ちや気分は落ちて、緊張や差別感だけが強調されているこの社会はかなり大変なのだ。ボクは、親子のつながりを、家庭と外のつながりで緩和する事を薦める。親が外とうまくつながれれば子どもの過剰な緊張も緩和されると思うのだ。とりあえず、親の子どもへの視線だけはソフトに少なくなる。

 

 「親の緊張は、子どもの緊張。先生の思いは、子どもにとって重いことが多い」また、どこかへ行きますから、そのときは、どうぞよろしくお願いいたします。

 

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    8月29日木曜日:夏休みが終わるぅぅぅぅぅぅ 不登校について

    • 2019.08.29 Thursday
    • 10:07

     

     夏休みもそろそろ最終コーナーを回った。すでに、夏休み終了した地域もある。教育改革の影響で、授業時間数確保とやらで、夏休みを削ったり、三学期制を二学期制にしたりと試行錯誤どころか支離滅裂の学校であったが、もう「おなかいっぱい」でパンクしそうなことは確かだ。

     

     不登校と登校拒否の特集を『おそい・はやい・ひくい・たかい』106号でやったのだが、その最後に、ボクは「学校に行かなければ学べない」に疑問を呈した文章を書いた。学校はもちろん全面否定されるべきところではないが、かといって全面的肯定や、誰でもが行くべきところだというのは間違っている。せいぜい、通過儀礼的、まあ一応行く方がいいかもしれないだろうと思うこともまちがってはいない……という程度だと思う。

     

     学校のいいところは、勉強ができるところというよりは、みんなが生活しているところ。つまり、「社会」だというところだ。つまり、不登校や登校拒否でも引きこもりでもいいんだけど、いずれは自分以外の人間といっしょにある程度の距離を取って暮らしていくことになると思うからだ。家族だってある意味同じである。

     

     その他者との距離の取り方はいろいろだし、何がいいのかは人それぞれだ。だからこそ、無理矢理行かされることは避けたい。でも「いいことばかり」の社会はあればいいけど、多分ない。でも、ちょっとした優しさや気遣いで肩の力が抜けることもある。そして、社会や自分自身の根本的で面倒な問題だって、解決できることと、できないことがあるだろう。でも、生きること、暮らすことをやめることはない。

     

     世の中はSNSをはじめ、感情、とりわけ不満やいらだちをそのまま放出できるシステムが多くなり、そのせいで、テレビやメディアの矜持もぐっとハードルが下がってきた。つまり、「ウケればいい」という全体主義つまりそれは、自発的隷従なのだけれど、その準備が着々とできあがっている。

     

     だから、「登校拒否」の時代は子どもの意志が反学校という形で出てきたけれど、今は「不登校」という非学校という感じがする。でも、その非学校の社会は「自律性」が逆に重視される。学校へ行かないことはある意味で勇気ある選択なのかもしれない。「不登校のしんどさにくらべたら、学校行ってる方がラクだよ」とつぶやいた子どもがいた。イリイチがいたら、「それがまさに学校化社会です!」と言うだろう。

     

     行く・行かないどちらも子どもにとっては厳しいのだ。こんな時代にした責任を誰かに押しつけるつもりはない。だが、すくなくとも、今「よかれとおもってやっている改革」がほんとうにいいものなのかをしっかりと吟味してほしい。「よかれと思ってやった」その結果がこうなんだから。

     

     ボクは「子どもは放っておくべきだ」というのが原則だと思っている。つまり、それは放っておいても、そこそこ生きられ、成長できる環境(社会)を私たち大人が作る責任があるということだ。簡単ではないが原則だと思っている。

     

     余談だけれど、つい先日、内田良さんと赤田さんの三人(大内さんもそばにいたけど)で、新しい本の対談をしたのだが、最後に部活をやめたらどんないいことがあるか?とそれぞれが語った。ボクは「少子化に歯止めがかかる」とつぶやいた。学校に「住居」を移しているセンセイが五分の一くらいならいいけど、私生活を充実させようとするセンセイがもっともっと増えれば少子化は歯止めがかかると真剣にボクは思っている。

     

     夏休み研修なんかしないで、私生活を充実(まあ、中身はいろいろあるけど)できた先生はきっと、余裕のよっちゃん(これ、昭和ギャグ?)で、子どもにも「適当」につきあてくれるんじゃないかと期待する。甘いかな(笑)。

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      8月13日(火曜日)梨屋アリエ著『君の存在を意識する』のこと

      • 2019.08.13 Tuesday
      • 09:11

       

      『君の存在を意識する』 梨屋アリエ 著 ポプラ社2019/08刊

       

      「……そこは、留美名が下見をして決めた。待ち合わせ場所で変なにおいがしていないか、周囲の建物から苦手なにおいがながれこまないか、強い香料を発している人が通り過ぎても空気がこもらないような風通しがあるのかを。 

       それを考えると「配慮」って、配慮される側も意外と準備をしているものだった。どちらかが一方的にして、されるほうはされてるだけというわけじゃないんだ。わたしたちは会って話すという目的のために、お互いにそうする必要があることをしているということ。

       配慮とは、する/されるの一方通行じゃなくて、両方が一緒になにかするのに必要だから、どちらからも矢印が向かい合っているものなんだ。だれかが勝つためじゃなくて、一緒に生きていくのに必要だから成立しているーーーみんなでそう思えたらいい。」

      318頁より

       

       この本は、書くことや読むことが元来苦手で学習に取り組めない子や、自分の性を男女にわけることに違和感を持ったり、においなど化学物質に過敏症だったりと、他者には見えにくい「障害」(作者は「困難」と)を持った子どもたちが「普通」という偏見の抑圧に対し、自分なりに向き合っていく物語です。そして、彼らが向き合うとき、彼らの存在を認める他に仲間がいるのです。

       

       書店で思わず手にとって、チラ読みし、すぐに300頁近いこのYA小説を買っていました。その足でコメダに向かって、読み続けました。

       

       こういう小説がやっと自然な形で出てきたんだなと、ちょっと感慨深かったです。多様性や個性、ダイバーシティなど「言葉」は増えてきましたが、依然として「異物」として排除や差別があります。「存在を意識する」という表題にあるように、意識する前に条件反射的に「配慮的排除・隔離」がまだまだ学校ではあります。

       

       登場人物や無邪気で無知なモデル化された教師たちが、リアルなやりとりをしています。ボクにとってはあるある話です。決して「克服」が終点ではないのです。友だち、親子、その辺にいる人 が 分かろうとすること、わかり合うことをあきらめないことが大切なんだと、ボクには読めました。

       

       先日、矢部史郎さんの『ゆめみる名古屋』を新聞で書評しましたが、あのときの苦労にくらべ(笑)、襟を正して『きみ意識』のことをここに書きました。たくさんの人に読んで欲しいと思います。

       

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        8月6日(金曜)福島ほっこり保養のこと

        • 2019.08.09 Friday
        • 16:40

         

        上の写真は、保養の最終にいつも行われる、お別れの会「またね!パーティ」だ。ボクはギターで三曲歌いました。

         

        今年も、福島から子どもと保護者を迎え、一週間あまりの保養活動に2日間参加した。「アンダーコントロール」だという安倍くんの虚言で2020東京オリンピックも「復興五輪」とか言っているけど、ほんとに「嘘も強気で言えば本当になる?」ヒットラーも言ってたけど、なんか、戦中戦前みたいになっている。

         

        滝川クリステルの「おもてなし」の映像がフェイクアピールだったことについては、ホント残念だ……って思っていたら昨今の結婚話と名古屋市長の無教養な発言でもう、暑いし、勘弁してよー!やれやれと汗を拭いて座り込むしかない。座り込んでる場合じゃないのだけどね。

         

        来てくれた子ども達とは「夏休みの宿題」のサポートということで、あいも変わらない「読書感想文」のお手伝いとなった。「かみさまにあいたい」「きみ膵」など読んではいるが、登場する人物に対する子ども自身の気持ちや、感想を出してもらうのには、こちらのスキル(笑)が必要になる。ジジイであるボクと、「きみ膵」の愛について中二の女の子と語り合うなんてのは、「キモッ!」って言われてもやむを得ない(笑)。子ども達と他愛もない話をするのもほっこりする。毎年会う子もいて、どんどん成長していく。一緒に「坊主めくり」もした。

         

        読書感想文なんて読書を嫌いにするためにあるようなもので、とんでもないことなのだ。そりゃー好きで得意な子はいいよな。でも、世の中には「読む」ことさえ困難な子どももいるし、ましてや、原稿用紙三枚以内にまとめて、他人に読ませようとするには、そうとうな熟練が必要になる。自由選択にしてほしい。

         

        子ども達と話をすると、最初はちょっとぎこちないのだが、どんどんユニークな発想が出てくる。最終的にはそれをまとめて感想文いっちょうあがりである。

         

        夜には「ママタイム」というのがあって、九時頃から学校や地域の話を聞く、相談になることもある。お母さん達が、それぞれ厳しい状況の中で生活していることがよく分かる。子どもに被曝線量測定バッチをつけさせるかつけさせないかという選択がある。保護者が、地域と他者からの視線の圧力で「いりません」というか、「必要です」と言うか……そんな厳しい日常がある。

         

        福島はまったく福島だった。復興五輪なんてやっている場合ではない。つくづくそう思うのだ。

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          7月7日(日曜日) 『サフラジェット』と 男と女の間の「差別と疎外感」

          • 2019.07.07 Sunday
          • 08:51

           

           土曜日の七月六日は、日進市で「わいわいフェスティバル」という市内の団体が集ってのイベントがあった。ボクは男女共同参画的映画上映の後の意見交流会のコーディネイトをすることになっていた。

           

           上映の映画は『未来を花束にして』(原題『サフラジェット』)という今から100年前19世紀から20世紀にいたるイギリス女性参政権運動の実話を基にしたものだ。この映画のDVDも持っているので、数回見たけれど、毎回興味深く学習している。この過激さがいい。

           

           今から見ると、素朴に過激な運動である。ビラまき、街頭演説、石投げ、ちょい爆破、ガラス割りなどを女性たちがやっている。結果的にはイギリスでは1928年に21歳以上の女性に選挙権・参政権が「勝ちとられる」あるいは「与えられる」ことになった。この時代は、女性への抑圧状態はかなりで、賃金格差、長時間労働、性的な虐待から、親権の剥奪など数え切れない。もちろん「今だってそうだ」と思うけど。彼女らは繰り返しへこたれずデモや抗議をし、度々逮捕され、警察官から無差別的な暴力を受け、極めつけはハンストをする彼女らに強制的に摂食させるという、まあめちゃくちゃな拷問を受ける。

           

           中でも、ボクが「ううむ」とうなるしかなかったのは、逮捕された女性を牢屋に入れるのでなく、「家の前へ置いてこい」と警部が指示するところだ。つまり、牢屋の拷問よりも、夫からの仕打ちの方が「効果的」だということだろう。ここんとこは、男であるボクは黙るしかないなと思う。つまり、これは現代でも共通する男性の在り方につながるのだが……

           

           上映後は20名くらいの交流会だった。そこではボクがコーディネイトということだったけど、短い時間なので、言いたいことを言って欲しいと思った。ボクが「男性も生きづらいことがあるんだよね」と言ってみた(実際ボクは男性の色々な相談を受けているからね)。もちろん「最近の女性は強くなった」なんていう通俗的な寝言を言うつもりは全くない。もちろん、学校現場で男子が意見表明がなかなかできなかったり、すぐ暴力的になったりするなど大きな課題はある。それは、旧来の男子が与えられていた「差別の下駄」と「女性の犠牲的支え」がなくなりつつあるということで、ある意味、女子と対等になりつつあるということで、それは非常に望ましい克服すべき課題であるということだ。

           

           しかし、女性への差別や抑圧に気づいた男性や、自分の鎧を脱ごうとしている男性は、それなりにしんどさや生きづらさを感じていることもあるのだ。すべての男性が「女性差別」に無知ではない。だから、「男性の生きづらさ」というボクの発言は、女性の立ち位置を問うことになる。女性だって被害者になることもあれば、加害者にもなることだってあるのだと。

           

           今まで発言を控えていた女性たちが、それぞれ一斉に「職場セクハラ」「賃金格差」など現代社会にまだまだ厳然としてある「女性差別」について語ってくれた。この映画はあくまで女性参政権という権利獲得という歴史が中心なのだ。Me Tooの動きなど、まだまだ女性への差別や蔑視、意識されない抑圧など てんこ盛りである。

           

           さて、サフラジェットだが、歴史であるから、今から見たら「限界」だって、「誤り」だってあるに違いない。しかし、だからといって、歴史的評価が下がるわけではないだろう。その場その時に精一杯闘うということは、こういうことなのだと思う。意見の中で、ここまで激しい運動をしなければ獲得できなかったということを知ると、身が引き締まるという若い女性がいた。そして、今はこうした意見表明の運動すら「自粛させよ」「弾圧せよ」という権力の動きがあるという指摘をする初老の男性の指摘もあった。

           

           サフラジェットでは Deeds not words(言葉でなく行動で!)というダイナミックな動きを奨励するスローガンのようなものがある。

           

           当日は話題にしなかったが、第一次世界大戦がはじまると、サフラジェットの運動も戦争に翻弄される。このとき、女性が戦争に貢献したから、その「御礼」として参政権が付与されたという「国家貢献説」という見解も出る。これをどう見るかはいろいろあるだろう。それと、サフラジェットの運動は、当時は「違法行為」だったのだが、だからといってそれがダメなことなのかというとこれまた安易な結論である。人間の尊厳を重視するためには、法そのものを超えていくような動きは歴史的に正しいとボクは思っている。

           

           主として男性権力者たちが犯してきた女性蔑視、女性差別という事実を過小評価するための歴史の叙述も、歴史修正主義であり、大きな問題があるのだ。男女のすれ違いは恋愛や夫婦だけでなく、いろいろなところにも噴出するものなのだ。『お・は』105号の『どうして、男と女はすれちがう? ─妻から母へ、夫から父になるとき+現役のあとに 』実はこうした問題意識の中で作られた、生活に密着した男女の本なのである。男女は協働できないのだろうか?男女間の疎外感はいったいどうしたら……。

           

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            2019年6月16日(日曜日) 『ち・お』編集会議 これから子育てはどうなるのか?? in新宿

            • 2019.06.16 Sunday
            • 21:53

             今日は、新宿の会議室で、『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』の編集会議。新しく編集人として熊谷晋一郎(東大先端科学技術研究センター准教授)さんを迎え、編集方針の提案があった。

             

             かなり綿密で、現代社会の持っている研究や情報についての分析も明快で、情報を求める人たちにどんな本を提供していくのかということが短時間の間に話され、みんな納得であった。『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』誌がどんなふうにこれから展開していくのかと言うことは、『お・は』も同じで小学生以上の子ども達と付き合っている親や教員にきちんと届くようにしたいと思っているので、熊谷さんの提案は本当におもしろかったし、心強かった。

             

             子育てのヒントやアドバイスもネットで検索していけば、かなり細かなケースについて「一定の情報」が得られる。しかし、今では、その明確な根拠やエビデンスの確認もなく拡散してしまうことも多い。乳幼児や子どもの成長はほんとうに多様なのだ、そしてその多様さに向き合うためには、土台のしっかりした上にたっての臨機応変さが必要なのだ。石川憲彦、山田真や毛利子来は、臨機応変に子どもと向き合うための考え方の土台を親たちが学んだのだと思う。

             

             子育ても教育も、言ってみれば「土台」「枠組み」を構築しながらするものだろうと思う。大きな視野で子どもをみながら、「目先のこと」に向き合うことが子育ての実際だと思うのだよね。これからの子育ては「目先のこと」と「その土台や枠組み」を同時に考え悩みながら営むことが肝要かと思う。

             

             怒濤の三日間が終了した。帰りの新幹線では落語を聞きながら居眠り(笑)。

             

             この会議場へは丸ノ内線にのって、「新宿三丁目」で下車する。東京駅から20分弱だったが、会議の場所までは、そこから結構な距離を歩く。出口がC7ということで、新宿三丁目の一番はしっこで、ウロウロとしてしまった。表示を見れば問題はないのだけれど、本当に東京は人が多いなあと思う。名古屋は比じゃないなと思う。東京はどこも,名古屋駅の中央コンコース化している。

             

             会議では、編集のこと以外に、山田真さんといろいろと話した。とりわけ「教養」ということについて。教養主義という批判が、もうできないくらい、教養が先細りだなあと思う。「教養」なんていうと偉そうな言い方だよね……というのが「昔」だったけど、今や「教養」は死語なのかもしれないと。

             

             本を読むというのは、一つの教養を積み上げる方法だった。しかし、今は社会性のある知識や思想(ものの考え方など)という「教養」を、本で積み上げる方法は「はやらない」ようだ。しかし、では、それに代わるのがネット知やウエッブデーターなのだろうか? どうも、そこがボクには分からないのだ。知としては同質だとしても、「身体」はそれにどう向き合っているのだろうか? ここは、面倒で難しい問題なのだが。ま、いずれ この問題はじっくり考えたいなあと思う。ポピュリズムや反知性主義の問題ともつながるんだろうけどね。

             

             

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              2019年6月15日(土曜日)怒濤の三日間 二日目 第57回一日おもしろ学校ごっこ

              • 2019.06.15 Saturday
              • 19:28

               

               今日は、朝から天気がどんよりしていたけれど、年に二回開いている『第57回 一日おもしろ学校ごっこ』。1993年からはじめているのだけれど、いつも楽しく実施。今回もたくさんの子どもたちと親御さんたちの参加があってとても充実していた。

               

               今回の高学年は 1時間目医学の授業で「夏の病気 熱中症と日焼け」を医師である松尾さんが全面展開。常識と非常識そして、何が一番いいのかをすぐに求めないで、じっくりと身体にいいことを考えるという授業。最新の医学情報を聞きながら子どもたちは考える。2時間目は 社会「都道府県のヒミツ」単純に都道府県や県庁所在地を覚えて終わり!みたいな無味乾燥蹴っ飛ばしたくなる授業ではないのだ。どうして都・道・府・県なの?? 北海道は北海県じゃないの?? 伊藤育雄さんが解説する。3・4時間目はミニハウス作り。職人の三輪先生の準備は、微に入り細に入り。楽しいミニハウスだけでなく、そこにテレビや冷蔵庫、ベッドまで自分で細かい木材を選んで組み立てていく.想像力が拡大して本当にたのしそうだった。

               

               

               低学年は、定番の伊藤育雄さんの音楽で1時間目がはじまる。ずんずんとリズムに子どもの波長が合い、元気な歌声が教室いっぱいになる。2時間目は ボクの南海トラフと地震の授業。ちょっと難しかったなあと反省。3時間目は 頭と身体を使った国語の授業を村上先生。ううむ、こういう授業だったら、学校が楽しいのになあと。最後の4時間目は太田先生の図工で「あやしいよるのおもちゃ」けっこう想像力が豊かになるが、ハートが見えるめがねなど、笑える。

               

               教育困談会も十五人くらいの保護者で盛り上がるが、しかし、めちゃくちゃな学校運営や教員のふるまいがあるなあと、話を聞いていてムカつく。愛知県の管理主義的浅薄教育実践は、まだまだ健在!(悲)のようだ。親たちがズンズンと賢くなっているので、一安心……なんて言ってられないぞ! 馬鹿馬鹿しい指導を、なんの疑い持たずにできる、その厚顔無恥の意識に 雷を当てたくなる。

               

               57回の経験は大きく、今日は天気の悪さにもかかわらず、キャンセル無し、参加者の四分の一がリピーターで 安定定着の催しとなった。毎回、充実して、疲れるのだが、今回は 若いスタッフも助っ人で何人か来てくれて和気藹々となる。横浜から毎回来てくれる同志M先生の話も面白く悲しい話だった。横浜は今や名古屋より管理主義的浅薄教育実践が蔓延してしまっているようだ。

               

               12月の58回に向けて、また授業を工夫しましょうね!! 楽しく充実した一日だった。みなさん、来てくれてありがとうございます。

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                2019年6月14日(金曜日)怒濤の三連ちゃん 1日目 「平成」の教育はなんだなんだ in 三鷹

                • 2019.06.14 Friday
                • 14:12

                 

                今日は三鷹市の市民大学講座で「平成」教育の迷路という学習のお手伝いをするので、5時に起床して、7時前に新幹線に乗車。午前十時からの講座だが、初めての場所なので30分位前に到着しようとするとこれくらいに出発しないといけないなあと思った。

                 

                 しかし、実際にはわかりやすいはずなのにウロウロしてしまい、結局 開始15分前到着ということになった。かなり新しい立派な建物で、中もきれいな いまどきの透明ガラスの壁で、廊下からは何をやっているか丸見えである。

                 

                 一時間くらい、お話をして、そのあと30分間くらいグループ討議で、80〜30歳までのそれぞれ参加者の経験や思い出をボクの話と結びつけたり、結びつけなかったりしながら深める。深まるような話をボクがしたのかが不安だったけれど、とりあえず、各グループが短めの発表をして終了ということになる。司会はびしばしとしつつも、しかしやさしい雰囲気の方で進行がすばらしい。そのあと自分がまとめとして話す。

                 

                 まとめの話は、以下の通りで10分程度。

                これからの子育てや教育を考えたり、関わっていく方向性としては

                 

                1)「いそがしさ」や「せわしなさ」から「生きている子どもを待てない」という現実がある。それは、親というより、子どもの集まる、とりあえずは学校がである。親は昔からせわしなかったのだ。学校の「早く正確に」というモードはここ30年間で、ますます強化され、それに成果主義が付随してきた。待てないということは、子どもや教師の「あきらめ」を促し「丁寧さ」を駆逐する。

                 

                2)サービスの過剰による不能化の悪循環。つまり、サービスが過剰になれば、自分で行為し活動することが減少し、結果的には、自己表出を控え、トラブルを避け、手間を惜しむ。このサービスが「過剰か過剰でないか」という分水嶺ははっきりしない。はっきりしないとなると、さらにサービスを欲求する。そして、きめ細かなサービスを誰もが求めるから、さらにそれを不可欠として、さらに不能化の勢いは増していく。

                 

                3)必要な部分だけを取り出して摂取することで、全体性を喪失する。部分だけを見て全体を確定することで生じる錯誤の問題が起きる。それは、将来の予測の誤謬にもなる。思い込みと、わかりやすい都合のいい経験値だけで動く。ほぼ都市伝説化している「学歴があれば幸せに生きられる」といった程度の昭和の話さえも、相対化できないまま、エネルギーだけを投下していく。

                 リトルリーグと草野球の技術過程の特化がもたらすコミュニケーションの貧困化を例に挙げて話す。

                 

                4〕教育や子育てを考えるときには、障害を持つ子や手のかかる子、病気がちの子、勉強が不得意な子という、どちらかというとメインストリームから遠目の子を基本に、いっしょに考えることが重要だ。それは、差別や序列の問題を考えるということもあるけれど、「多様な人間の集合体」が社会であるということは、正義や公正、権利や自由をどうやって獲得、現実化するか、あるときは「保障」だが、そういう社会の大きく根本的なテーマに有意義で不可欠なことだと思うからだ。

                 

                そんなことを、30人あまりの老若男女の受講者の方にお話をした。パチパチパチ。

                 

                『お・は』102号を買ってくださった人が数人いらっしゃってうれしかったです。ご要望に応じて、恥ずかしながらサインさせていただきました。

                 

                ところで、東京はやっぱり「香害」が強いような気がした。いや、中央線に乗ったら、そんなに混んでいないのに、すごく香りが強い。ちょっとまいった。周囲は、男性がほとんどだったんだけど。帰りは、12時過ぎにセンターを出て、タクシーで三鷹駅に向かい帰名となりました。まず、今日の前半は終了です。後半は、前の職場の同僚が何人か集まってわいわいと「反省的悔悟話」を明るく前向きに語る会がある。明日は「第47回 一日おもしろ学校ごっこ」である。また、朝がはやいな……。

                 

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                  2016年6月12日(水曜日) 毛利子来さんの書籍コーナー in 富士見町図書館

                  • 2019.06.12 Wednesday
                  • 16:38

                   

                   朝ドラをBSで見てから、地下鉄に乗ってJRの「ワイドビューしなの」を利用して、今日は 長野の富士見町図書館の「毛利子来コーナー」に行くことにした。しなのは車内販売をしていないというので、コーヒーを作って魔法瓶(これは死語?)に入れたので、どんどん鞄が重くなる。しなのに乗る前に、「あんドーナッツ(というよりパン)」と,「クリームパン」を買って乗り込んだ。ここから塩尻まで100分くらい、そこから中央線に乗り換えて50分くらいの旅だ。

                   

                   しなのは塩尻まではけっこう混み合っていた。指定で窓際に座り、車窓の山や谷をボーッと見ていたが飽きたので、『お・は』の106号原稿校正を始めることにした。106号は学校イヤイヤ特集で、先日、山下さんのフリー居場所で親御さん達と座談会的悩み相談をした。そのテープ起こしが送られてきたので、読みながら、自分のちゃらんぽらん会話を訂正。しかし、編集してくれているTさんの敏腕さに驚愕だ。こんな格調高い、まとまった話を自分がしたのだろうか???と思うくらいいいじゃないか。これを読むとオカザキはきちんと話しているなあと誤解されそうで怖い(笑)。

                   

                   車内はほぼ満席で、会社員風の人が多い。今日は平日だから当たり前だなと思う。塩尻から富士見までは中央線の「高尾行き」で、途中でしっかりと停車して「あずさ」に追い越されたりしながら、ゆっくり富士見に向かう。でも、「あずさ」ってえらくかっこよくなっている。昔のあずさしか知らなかったので、ちょっと驚いた。

                   

                   ちょうど十二時だったので、富士見駅のあたりをうろうろしていると、道からは見えない(笑)そばやさんを見つけたので入る。おばあちゃんが一人でやっている。盛りそばを二枚いただく。手作り感が満載で、いきなり、蕗の煮付け、カブとキュウリの漬物、キャベツのおしたしの漬物が小鉢で、どんと出てくる。しばらくするとそばとそばがきが運ばれてくる。おばあちゃんは、かなりのお年で80歳は超えている感じがした。そばも明らかにここで打ちました!という見ばえで、太さや長さが若干違っている。でも、非常においしい、しっかりした食感だった。

                   

                   

                   

                   富士見の駅から歩道橋をまたいで5分くらいで富士見町のミュージアムの中に図書館があった。かなり広く街の規模からするとかなり大きく、中も充実している。とにかく、窓が大きくて明るい。お母さん達が子連れで本を借りに来ている。窓口の係の人にご挨拶して毛利子来コーナーをのぞく。ボクの知らない毛利さんの本がかなりあった。写真も元気な毛利さんの笑顔でうれしく、懐かしい。館長さんが不在だったのでナンバーツゥ?の方と若干の話。ボクと毛利さんの関係と、『ち・お』姉妹誌『お・は』の説明をする。

                   

                   毛利子来さんコーナーには、毛利さんの著作が集められていて、これは、ご家族の好意で展示され、貸し出しもされている。もともと、ここに毛利さんは別荘があったようで、ボクはよく知らないのだが、ここで、暑さをしのぎながら執筆されていたようで、内田良子さんやご家族の働きで、このコーナーが実現したと言うことだ。ボクは、開設されたときに伺えなかったので、遅まきながら訪問した。笑顔の毛利さんの写真を見て、思いがこみ上げてきたが、毛利さんに声をかけてもらわなかったら、今のぼくはないなあと思った。

                   

                   ボクも恥も外聞もなく、でも、一応礼儀正しく、毛利さんに教えを乞うてきた……つもりで、その育児や教育、そして思想については、ぜんぜん古くないと思っている。書かれたものは、過激だし、厳しいが、その反面、寛容さも並外れて大きく、先生に助けられた親は多いと思う。ボクもその一人です。著作を見ながら、もう一度、読み返そうと思った。

                   

                   図書館の人と話しているうちに、『お・は』もバックナンバーを置いてもらえないかなと思ったので、話してみると、「うんいいですねえ、ちょっと相談してみます」と言ってくださったので期待。まあ、いつもダメ元で話すので、実現しなくてもしょうがないなあと思う。106号を寄贈して、失礼する。若干電車の発車まで時間があるので、少し降り出した富士見駅の近くでカフェオレを飲む。

                   

                   時間待ちのカフェオレの間に、雷が鳴り始め、土砂降りとなる。待合室には数人で、仕事、旅、いろいろな人が立ち食いそばを食している。ぼくも食べようかなと思ったが、今日はあまり運動していないのでやめた。塩尻までゆっくり50分くらいかけて中央線で戻り、そのあと再びしなの16号で名古屋へと戻ることにする。とりあえず、雨も通り過ぎ、どんよりした空は名古屋も同じだった。毛利さんの写真を思い出しながら、ボクの人生も毛利さんや多くの先達によって豊かにしてもらえたんだなと感慨深く家路につく。

                   

                   

                   

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                    6月5日(水曜日)『マコチン』の威力:時間が余ったから読み聞かせるのではない!

                    • 2019.06.05 Wednesday
                    • 20:35

                     

                     ボクは、この本を多いときで5冊持っていた。続編の『マコチンとマコタン』もである。今は、二冊しかない。この読み聞かせ本は小学校低学年中学年に必ず受ける。今まで100%楽しく聞いてくれた。だから、子どもにあげたり、若い教員にあげたりするから減っていく。

                     

                     最近も二年生の補欠教員として出向いたときにこの本を読み聞かせた。自分が担任のときは、必ず、一学期に読み聞かせた。子どもたちは笑い、大受けし、「もっと読んで」「もう一度読んで」のリフレインである。読み方のスキルもあるけど、それは気持ちの入れようと、少しぶっ飛んだ気持ちで、教員特有のクソ真面目さを押し隠せばいい。

                     

                     今まで、若い先生や同じくらいの年齢の先生に、これ面白いから読んでやってみたら……と言うと、90%は「そんな時間はない」「暇ができたら読みます」などとバカヤローなことを言う。で、はっきり分かったのは、そういう先生は、時間に余裕があっても、決して子どもに面白い話の本は読み聞かせない。子どもは本を読んでもらう楽しさを知らずに大きくなるという不幸を積み重ねる。

                     

                     読み聞かせや、お話は子どもにとって、何ものにも代え難い文化と教養だし、想像力、そして人間性を育む。読書感想文という罰のついた押しつけ読書なんかすすめなくていいから、おもしろい、わくわくするような本を、子どもに読んでやるのがいい。

                     

                     「岡崎先生は、そんな本(!)を読んでいても規程のカリキュラムや教科書のやるべき範囲が終わるからいいですね」と言われたことがあったが、そいつには「君のようなティーチングマシンに教えてもらう子どもはめちゃ可哀想だな、規程のカリキュラムだって? やるべき教科書ぉぉぉx? そんなもんをこなすのが教育じゃないだろ、何を考えてるんだ。」と。「ボクは、忙しくても、また、やらなくてはいけない範囲がまだおわってなくても、本を読んだり、紙芝居を見せたり、お話ししたり、ものづくりをしたり、とにかく『子どもが楽しいと言ってくれること』をまずやるのが仕事だと思っているからね」と思いをテンションあげて言った。「楽しいこと」が規程のカリキュラムより優先順位が低いはずがない。楽しいことをやったうえで、さぁ、たまには教科書をやるかな……くらいでちょうどいいののだ。

                     

                     人間にとって大事な文化は、誰かが決めた予定や計画や押しつけからなんて生まれない。ボクは子どもが楽しめる本を探し続けている。だから、「これ面白いよ」と言われた本は買ってみる、借りてみる。

                     

                     先生の多くが本を読まなくなったとすると、自分自身が本を読むことが楽しくないのだろうし、自分が本を読む喜びを知らないから子どもにそれを伝えられないのだろうと思う。楽しい本やわくわくする本は、早く学校へ行って子どもたちに読んでやりたいと思うのものではないだろうか。「ノンタン」から「キャベツくん」、古い本だって昔話だって賞味期限なんてないのだ。人の想像力に壁は建てられない。象徴的に言うなら、「あと15分でさようなら。そのとき、今日中にやるべき計算ドリルか、メチャ楽しい読み聞かせか、君はどちらを選ぶ」というのは子どもの前に立つ先生が常に頭に置いておく究極の選択なのだ。

                     

                     時間がない、ヒマがないなんて言わないでくれ! ヒマを作ってくれ、押しつけられたことをサボればいいじゃないか!……とボクは強烈に思うのだ。初めて学校で勉強する一年生なら、国語・算数は全部絵本を使って、絵本に助けてもらって勉強ができる。楽しいよ。

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