11月04日(金曜日) いつから、子どもは変わっていくんだろう?

  • 2016.11.04 Friday
  • 23:15

 

 休み時間が終わって、子どもたちが靴箱で、上靴に履き替えて、教室へ向かう。そのときに、「ちょっとーまってぇー」と靴を慌てて履き替えてつまずいた子が、先に行く子に声をかける。すると、「はやくしろよー」といいながらも、数人のうちのひとりが「おれが待ってるから、はやくしろー」と叫ぶ。私は、その横を理科室に向かい、「いい子たちだなー」と思いながら、教室へ入るのが遅れて、二人の友情(笑)を、先生に叱られなければいいがと念じる。

 

 子どもたちには、往々にしてこんなときがある。一人が遅れたり、失敗したときに、「よし、わかった、まっててやるよ」とか、「よし、おれにまかせておけ」なんて大人びた言い方で、その一人を支えたり、カバーしたりすることがよくある。特に、友だちを大事にしようとか、友情とか、友だち想いとかではなく、たんに、「一人で置いておく」ことに「違和感」を感じているように見える。

 

 そういうシーンを学校でよく見てきた。子どもたちを観ていると、自然に、友だちの出したゴミを片づけたり、忘れ物を持って行ってあげたり、自然にする。以前、ゆとり批判で、「運動会の徒競走を手を繋いでゴールする」というようなこと(ホントにあったんだろうか?)が言われた。「仲良しなんだから、手を繋いでゴールしなさい」なんていうのは論外で、勘弁して欲しいのだが、時として、子どもたちの中には、それほど考えずに、自分が立ち止まり、友だちをゴール前で待っている子がけっこういる。しかし、こうした「つながり」が、だんだんと消えていくことも確かだ。

 

 低学年で、二人一組で五十メートル走の運動能力テストをするとき、以前、私は、ゴールまで先に走っている子が遅く走る子に合わせて走っているのを、何度も何度も観た。先生が「どうして、最後ダッシュしないの(怒)、競争しているんだから、待っていなくていいの(怒)」と怒っているのも何度もよく見た。私は、笑いながら、同タイムと記録係に知らせた。だって、低学年の子にとって、五十メートル走の記録に目くじら立てて、なんの意味があるんだよ!と想うからだ。たかだか、一秒や二秒がなんだよと想うからだ。現職時代はずっとスポーツテスト強制に反対してきた。力及ばずの結果だったが。

 

 ところが、高学年になると、記録に執着するし、ゴール前で待っている子なんていない。まあ、途中で、「どうせ走ってもいい記録でないし……」と想って、一生懸命走っているフリしている子はけっこういるけど。そもそも運動能力テスト(スポーツテストに意味や意義を感じていないので)で力を抜いている子がいてもぜんぜんかまわない。(拙著『身体教育の神話と構造』に詳細に論じている)むろん、しっかりやりたい子はそれはそれでいい。

 

 競争原理に圧倒されて、もともと自然に身についていた協働原理を子どもはいつ放棄?あるいは忘却?してしまうのだろうか?と時々考える。助け合うとか協力することが「美しい」と言っているのではない。「協働することが人間の本質」と考えるのは間違いなのだろうか?と言うことなのだ。

 

 競争原理と協働原理の問題は、私が二十代中盤つまり、教員になったころからの課題で、かなり考え、書いて、論争してきた。競争原理を全否定するつもりはないが、小さい頃、子どもたちが自然に持っていた「いっしょに走ろう」という意識はどうして消失するのだろうか?答えが分かっているようで、分かっていない。人間は、「助けよう」と強く想わないと、人を助けることはできないのだろうか?悩む。

 

 

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    10月02日日曜日  みんなちがって、みんないっしょ……の意味

    • 2016.10.04 Tuesday
    • 11:51

     障害を持つ子どもたちと自分の向き合い方について色々と考える機会があった。先日、障害者・児の生活を考える集まりで話を頼まれて参加したからだ。

     

     「みんなちがって、みんないっしょ」というインクルーシブや共育共生を中心に据えた集まりであった。保育師や教員、障害児を持つ保護者のみなさんがたくさん集まった。

     

     この講演・学習会は毎年行われており、伝統的というか、立ち上げの時期からぼくも浅からぬ縁で関わってきた。当時、小さかった小学生の子どもたちが元気に巨大化しており、うれしかった。

     

     ぼくの話の中身は、「課題や障害をもった子と、自分がどう付き合ってきたかのか」という話だから、具体的なイメージのわく学校などのシーンを伝えながら、できるだけ元気になって、明日も頑張ろうという具合にいけばいいなと思って話した。

     

     ポイントしては、いくつか考えていったのだが、基本的には、「面倒で、手のかかる問題」からしか人間は学ばない。だから「困難」をまえにしたときは、学習機会だ!くらいに考えて向き合わないと疲れる。学習機会だから成功するとは限らない。でも、たとえ失敗しても次のチャンスが積極的に待てる……くらいに考えるのが良い。

     

     それから、手をかけることや、その子のためにと思っていることも、本人が本当にいいと思っているかどうか?よく考える必要がある。善意・教育・思いやり・親切は、こちら側は常に良きことだと思っていても、相手にとっては「?」というコトも多い。慎重になることが必要だということ。

     

     質問もいくつか出てきたが、障害をもっているから障害児学級(特別支援学級)という流れは、必ずしも当てにならないということを話した。障害の程度も色々あるが、建物や箱が問題なのではなく、そこでどんな生活をするかが重要なのだ。できるだけ、色々な子どものいる、雑多で、普通の社会で一緒に生活した方がよい。それに、障害をもった子どもだけでなく、障害をもっていない子どもにとってもよいのだ。

     

     最後の会食会では、家族の問題をいろいろと話した。誤解を恐れずに言うと、国家的課題が今大きく生活に影響しているが、同じくらい「男子問題」や「家族問題」が子育てに影響している。競争原理や弱肉強食に慣れきった親に育てられる子どもたちは「弱者」になれず、非常にキツイ生活をしている。「弱者」であっても大丈夫という社会の構成が急務なのだ。「勝たなければダメだ」という親こそ、一人になったときや老いたとき、自信を失い、きっと深い闇に驚愕するだろう。「弱者」と自分が無関係だと思っている人こそ危うい。

     

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      9月29日木曜日 『お・は』93号できあがる! 進路の迷路

      • 2016.09.29 Thursday
      • 17:12

       

       oha 93号はかなりおもしろくできあがりました。『親にできる進路アドバイス』という特集です。

       

      進路は親にとっては悩ましいことです。ま、子どもが幾つになっても「心配」なのですが、最終的には本人が精一杯考えるしかありません。

       

      でも、親としては、とりわけ、節目にあたる、各学校の卒業の時期は、心配も増量します。学力、やる気、経済(要するに教育費)の状態など考えると、あまり楽観的にはなれません。しかし、じゃあ、どれだけ考えればいいのか???これも……です。
       そんな悩みに迫る特集です。

       

       とと姉ちゃんの「あなたの暮らし」的「暮しの手帖」のポリシーは、『お・は』的でもあるので、おどろき感動する。
      1)宣伝を取らない 2)弱き者の立場に立つ 3)あとから読んでも十分に読み応えのある、いつまでも色あせない特集や連載
       『お・は』もそうなんです……です……です。昔の特集でも、十分に読み応えがあって、一冊ずつがそれぞれ、十分に今を生きるために十分に中身が濃い。

       

       今号からボクのヘタヘタマンガも連載開始です。評判上々です。「しかしヘタだなあ……」と。

       

       ぼくの連載も、PTAです。

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        9月16日(金曜日)S県H市の小学校PTAで話したこと

        • 2016.09.16 Friday
        • 22:33

         

        H市の小学校のPTAで話を依頼された。保護者のいくつかの質問に答える形で45分程度話す。たくさんの保護者が集まってくれて、音楽室はいっぱいだった。

         

        正直、45分はけっこう短いなと想ったが、5つの質問にそれぞれ答えていくのは、簡単なようでむつかしい。

        たとえば、「朝の支度〜夜寝るまで、ずっと、○○しなさいよー、と言っぱなしです。学校の先生からも、マイペースだと言われました。早く動けるスイッチが入る、いい言葉かけはありますか?」というような質問に10分以内で答えていくことになるが、あるていど予習(笑)はしてあるものの、保護者の顔色を見ながら、付け加えたり、かみ砕いて話をする。

         

        こういう問いの答えは、子どもにもいろいろだから、単純にはいかない。上記の質問だって、これだけで、二時間くらい話せるし、意見交換すればもっとたくさんの論議ができるだろう。子どもも参加するともっと面白いことになるだろう。なかなか適切な解答は難しい。

         

         ぼくがふと想ったのは、たとえば「明日の準備」ひとつにしても、おそらく低学年の頃は親も子どもと一緒に準備していたかもしれないが、そのときに、結局、親が子どもの代わりに準備してしまっていたのではないかということだ。子どもと一緒にするということは、準備する子どもを見守るということで、肩代わりすることではない。逆に、子どもに「お母さんが一緒に手伝うけど、なにをすればいいの?」と聞いて、本人に言わせるくらいがちょうどいいのだ。あくまで、子どもが自分ですることが目標なのだから。

         

        今日は、男の子の問題も最後に話した。これは、是非聞いて欲しかったからだ。男の子が自立するのは難しいのだ。宇宙人的な感じで男の子を見ている親も多いのだが、じっさい、未熟さが目立ってしまうこともある。できるだけ、子どもと距離を取って、失敗をどきどきしながらも、見守るという勇気が親には、とくに母親には必要な気がする。とりわけ、思春期をうまく通過すると、親に憎まれ口を叩きながらも、自立していくと、ボクは思っている。

         

        今日は、PTAの役員のみなさんが一生懸命に会場づくりから運営までこまめに動いて下さった。何度もメールでのうち合わせがあり、そのつど仕事のできる人達なんだろうなあと、想った(偉そうにすみません)。うわさの「うなぎパイ」もいただいた、うれしかったです。

         

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          9月7日(水曜日) 高学年って何者? いえいえ子どもです。

          • 2016.09.07 Wednesday
          • 20:09

           まず、秋の講演会。まだ余裕あります。なんでも薬という条件反射を検討しましょうと。 

          アーレの樹 秋の講演会  
          『発達障害と薬の使い方を考える』
          講師 小児精神科医 石川憲彦 先生

          2016年10月23日日曜日午後1時から3時まで
          場所: 愛知学院大学日進キャンパス  愛知県日進市岩崎町阿良池12 
          定員: 200名  参加費:1500円
          主催: 一般社団法人 アーレの樹 愛知県日進市梅森台4丁目66
          電話 052-807-2585 FAX 052-864-7005
          申込み方法:仮予約 
          ‥渡辰FAXでお名前、住所、電話、メールアドレス(ある方のみ)
          ▲◆璽譴亮HP:http://aarrenoki.org/event/   の下の方にある
           「イベントのお問い合わせ、申し込み」から

          仮予約後、参加費納入手続きなど詳細について、こちらから御連絡します。

          お問い合わせ:一般社団法人 アーレの樹 052−807−2585
                      メールaarre-event@aarrenoki.org

           

           

          今日、いつものように、理科の時間の最後、ほんの少しだけ時間があったので、「クイズ」を出した。「女の子に男の子が告ったんだけど、桜の木のしたではふられたのに、紅葉の木のしたではいいよって言われたんだ。なぜか?」と。

           

          すると、さすが六年生「桜は散るから、ざんねんってことだ」と名解答。だが、実は、「気が変わった」→「木が変わった」というのが正解。子どもたちは授業中も熱心に聞いてくれるのだが、こういうクイズにも、本当に頭をしっかり働かせてくれる。これからは現実の生活の中で、教科書に書いていない「難問」を解いて生きて行かなくてはならない。高学年には、色々な場面で、立ち向かっていって欲しい。彼らの真剣な姿も、ふざけている姿も、みんないいなと想う。

           

          さて、こんど11月30日に全国学童保育の大会が愛知で開催される。その分科会でぼくが問題提起をする。高学年ってなんだよ!という感じで。そのときに基本のレジュメが必要と言われていたので、書いて見た。それをちょっとここで開示する。レジュメなので、抽象的というか端折っているところもあって、同居人の厳しい批判に耐え、作った。当日は具体的な話を中心にしようと想っている。お時間のある方はおいで下さい。申込み方法はここをクリック。

           

          1 「めんどくさい」という口癖の「高学年」の子どもたち

           学校では「勉強」「友だち」「容姿」など、子どもたちが気にするテーマは数多くある。多様でもあり、画一的でもあり、複雑である。

           特に女の子たちの「友だち関係」は難しい。SNS、交換ノート、恋バナ、買い物(消費活動)などで楽しみながらも、トラブルは多い。そこには、他者を気にしすぎて自由になれない「キツさ」も目立っている。

           一方では、男の子にも特徴的な「未熟さ」が目立つ。「べつに」「無理」「めんどくさ」「うざ」のリフレインで私達を疲れさせる。しかし、それは彼らの生きにくさの現れでもある。

           だからこそ、先入観を排し、冷静に対峙すれば、「高学年」の子どもたちから「付き合い方」を学ぶことは多い。

           

          2 教員と「高学年」との関係の難しさ

           高学年の学級崩壊は、ときに学校崩壊を招く。また、「子どもたちに声が届かない」状態で悩んでいる教員も多い。

           子どもたちの様々な「格差」(学習理解、文化資本、教育投資、身体・言語・感性 等々)に教員は翻弄される。仕事の優先順位もはっきりしないままに、その多さと複雑さに流されて、多忙感に麻痺し、余裕無く、しっかりと子どもたちと対峙できない。

           理不尽で非論理的な学校管理の改善はなかなかはかどらない。「子どものため」論ですべてを回収して、同調圧力に負けていくなら、自分の心身を壊し、子どもの人権の確立にはほど遠い。

           子どもとの現実的な付き合いの中で、子どもたちのおもしろさに出会うことが今必要である。

           

          3 「高学年」の子を持つ親の「困難」

           思春期である高学年の子どもとどうコミュニケーションを取ったらいいか悩む親は多い。つい「過剰なケア」をしてしまうことで、親子関係が煮詰まっていく。子どもに対して「一人前」どころか「半人前にもなっていない」と断じる親は、「見守る」こともなかなかできない。場合によっては「子どもとの共依存」に向かうことさえある。

           「自立させなければ」と親は考えるが、生活の実態や現実的な親子関係は、自立どころか、親が子どもの「執事」になっていたり、親の付加価値的存在になっていたりする。

           「見守る」こと、ゆっくり育てること、言葉だけでつながろうとしないこと、距離を取ること……親も鍛えられる。

           

          4 「高学年」に今、何が必要か?

           ・学校で充実した生活ができること。「生活の場」としての学校でありたい

           ・いつもそばに、年上のよき案内人を。

           ・いたずらに他者と比較して評価しないこと。

           ・「みんな」とは誰かを考えながら、問題を検証すること。

           ・地域へ帰ることの必要性。NGO、地域の集い、大人との付き合い……

           ・指導者・教員との関係から、人対人という関係へ。

           ・親と距離を取り(つまり離れ)、自分の世界を創ること。

           

          5 社会の問題や課題は子どもを育てることから「遠い」のか?

           格差問題や、労働条件の劣悪さ、コミュニケーションツールとしてのSNS問題、社会の競争原理などの影響は如実に子どもに反映していく。子育てに関わる者がその社会の課題をしっかりと受け止めていかないと、子どもの問題を解決することは難しい。

           いじめや不登校、学力格差、貧困など多くの子育て・教育問題は目先のことだけで解決できる問題ではない。私たち大人が、もっと子どもに目を向け、子どもから自分自身のあり方を問い直すような視点を持つべきだと思う。

           大人社会が、元気で、おおらかで、寛容であれば子は何とか育つものだ。

           

           

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            9月3日(土曜日) 子どもたちの緊張感について

            • 2016.09.03 Saturday
            • 22:59

             新学期がはじまって、すんなり学校へ行けている子どももいれば、そうでない子もいる。先日、ボクも参加したNHKラジオの番組も、新学期の不登校や自死の危機感に対して何かできることはという意図がNHKにもあったと思う。

             

             だが、新学期だからと言って、すんなり学校に行けるというのも安易すぎるような気がする。夏休みは、学校が休みなんだから、自分も休んでいいんだという気持の軽くなる期間だから、学校へ行きたがらない子どもたちも気が楽になる。

             

             フリースクールに通っている子どもたちの方が、学校に行っている子よりも休みが短いのでちょっと笑ってしまった。フリースクールも一応「スクール」っぽいわけで、学校とは違うが、それなりに来るにはエネルギーが必要だと思うのだ。だから、学校でももうちょっと敷居が低ければ、今不登校になっている子にも行けるんじゃないかと思わないこともない。

             

             だがしかし、ことはそれほど簡単ではなくて、自分の問題が解決したから行けるはずと思っていても、行けない子どもは沢山いる。それに、自分の問題がどこにあるかというと「自分がダメだから」なんて自分を攻撃してしまうことの方が多いのだ。「アイツのせいで学校に行けないんだ」なんて言えるのは元気がまだあると想う。

             

             不登校の理由なんてありすぎるくらいある。行くための理由は簡単だが、行けない理由は子どもの数だけあると言っていい。まあ、学校に通えている子どもだって、それなりに厳しいから、いつ行けなくなるか分からない。一方で、行かない選択なんて考えたことがないという子ども多いし、圧倒的だ。だから、不登校少数派は、厳しい立場に立つことになる。

             

             教員も学校へ行けるかどうか、八月の末にはかなり悩む。で、実際に行けない教員もいるはずだ。

             

             子どもの不登校は「自立するためのステップ」だと想っている。親の庇護から離れていくためには、親にしっかりと保護してもらわないと飛び立てない。学校は「通過儀礼」的に考えて、何ら問題はない。ただ、そこに、「行ってみようかな」という楽しい事が何かあればいい。

             

             いずれにしても、教科書は忘れてもなんとも想わない子も、スマホや携帯を忘れると落ち着かなくなる子がほとんどの時代、学校の権威だとか、意義はどんどん薄れている。その事実を認めた上で、学校の意味を考えないと、とても不登校の子どもたちに向き合うことはできない。

             

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              8月30日(火曜日) 正しい論議の矛盾と感動の問題

              • 2016.08.30 Tuesday
              • 09:49

               

               『お・は』を作っていると、正論だけど実行は難しいとか、言うことは正しいけど実際は違っているとか、現実の描写はそうなんだけど本人はそんなこと思っていないとか……つまりなかなか「しっくりこない」状況や実態があるということを思い知らされる。

               

               先日のラジオの番組で「田舎にはフリースクールなんてないから」とか、あまり不登校の居場所として「フリースクールを連発しないで欲しい」という投書が来た。確かにその通りだなと、しかし、フリースクールで居場所があってよかったなという子どもも現実にいるわけだからそこは、「そうだけどそういわれても」と返すしかない。

               

               落合恵子さんが番組中に「岡崎先生のようないい先生だといいんだけど……」と発言したとき、ちょっと困ったなと思った。講演をすると、よくその後「うちの担任は岡崎先生のような先生じゃないんです」とお叱りを受けたり、逆に、「どうして、岡崎先生のような先生がいないんですか」と問われたりすることがある。しかしなぁ……そう言われても、大きな問題がある。

               

               つまり、問題は二つあって、一つはそんなにボクがいい先生かどうか?という問題がある。むろん、当然だけど、「いい先生」になろうと思って仕事はしているから、そう言ってもらえれば嬉しい。しかし、担任している子どもや親という、実際に付き合っている子どもがそうおもっているかどうかは別なのだ。職場では「いい先生」だと思ってくれている同僚は少ないかもしれない(笑)。だから、浮かれることはできないし、それほど若くない。もう一つは、同時に自分の場所で、よりましにするにはどうするかということに、ボクの話が本当に役立っているのか?ということだ。

               

               「話はよかったけど、私のいる場所ではどうしたらいいんでしょう?」という現実の課題に、当人が向き合えるだけの知恵や勇気や元気を持ってもらえるかどうか?ということ。まあ頑張るのはご自分です!ということに尽きるから。

               

               やはり当事者性というのはかなり重要だ。困るのは、「メダルを取ることで、日本の皆さんに、感動と勇気と元気を与えたい」というオリンピックなどのスポーツアスリートの台詞である。ボクは、あの「感動を与えたい」という勘違いの台詞(と思っているけど)が、申し訳ないが大嫌いだ。本人が感動したり、悔しがったりするのはいっこうにかまわないのだが。

               

               で、なぜ嫌いなのかな?と考える。単純にいえば、それがスポーツだからだ。スポーツの感動や喜びはプレイヤー本人が受け取るものだ。それに、そもそも感動だとか勇気だとか元気なんてのは、声に出して、他者に与えてあげたいとは、思っても言わないものだ。それに観戦しているボクは「楽しみたい」と思っている。ボクが教室の子どもに「さあ、今日の授業でみんなに感動を与えたい」と言って仕事を始めたら……ちょっと気持ち悪いし、違和感いっぱいだ(笑)。

               

               できれば、アスリートは自分のパーフォーマンスにこだわって頑張ってほしい。まあ、体操などはサーカスに発展するんだろうと思う。要するにオリンピックレベルのスポーツは「商業的見せ物」として確立するのがまっとうな発展だ。国家に所属せず、政治に利用などされず、かつ税金など使わずに。各地(世界)を巡業する大相撲がオリンピックの将来の姿だ。

               

               感動というのは色んな種類がある。しかし「政治性のないイノセント(無邪気・無垢)な感動」「単純で分かりやすいこと」はときとして、大事なことを忘れさせてくれる。その大事さが、本当は忘れていけないことであってもだ。オリンピックの政治性は、本当にすさまじい。オリンピックの20日間余り、強く感じた。スポーツの政治利用は「政治的でない」という幻想をまとって巧妙に為される。

               

              『お・は』に関わりながら、できるだけ押しつけを排除しながら、単純で分かりやすいことに安易に流れないよう「努力」しよう思う、夏だけど涼しい朝である。

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                8月20日(土) 『ち・お』『お・は』会議で考えたこと「忍耐力」

                • 2016.08.20 Saturday
                • 23:49

                 昨日は目黒で『ち・お』『お・は』編集会議だった。山田真さん、石川憲彦さん、富山洋子さん、大谷尚子さん、青野典子さんとジャパマのスタッフ。

                 

                 『お・は』95号はかなり先だけれど、忍耐力とか根性を取り上げてみようと思い、その提案をする。いつも盛りあがるのだが、編集協力人のみなさんは全員我慢強いとは言えないので、議論百出となる。おもしろいことこの上ない。

                 

                 そもそも「忍耐力」ってなんだ……ということになり、私がここ二週間足らず、孫二人との格闘を披露して、食から、スマホゲーム、発熱、おたふく風邪、マイコプラズマと色々と問題を投げてみた。みなさんおもしろいけど、結局、一番忍耐力の無いのは私かもしれないというオチまでついた。

                 

                 教えるとか、育てるっていうのは、子どもたちに忍耐力や我慢する力をつけるというイメージがすごく強くある。それは、本人のためというもので、なんとか、子どもたちに生きる力?を付けて欲しいという善意いっぱいのところから発するんだろうけど、実際は、親の都合だったりする。このことは頭のどこかに置いておいた方がいい。

                 

                 「泣くのを我慢する」といっても、オリンピックでは選手達がけっこうたくさん泣いているから笑える(不謹慎か?)、わたしは。あれは、我慢しなくていいらしい。スポーツでは、汗(努力)と涙(感情)は『感動構成要素』としては必須なのであるが、もし、ぷよぷよクエストのゲームでクリアできなくて泣いても、だれも感動してくれないだろう。つまり、我慢に我慢を重ねてがんばってきたスポーツなら、泣いてもいいってことか?

                 

                 このあたりのことはすごくきちんと考えないといけない。感動は操作可能だから。どうも、自分がひねくれているように思えてしまう。かなり真面目に考えているのだけれど。今回のリオ五輪も、ブラジルの社会的な課題とは無関係に開催されているけれど、スポーツって怖いなあと思った。テレビのアングルも狭いなあと。『お・は』会議の帰り道にそう思った。

                 

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                  7月26日(火曜日) ADHDの子どもだけじゃないぞ! 気持がわからんでいいのか?

                  • 2016.07.26 Tuesday
                  • 19:01

                   

                   先日ADHD」の子どもの気持ち というテーマで話したのだけれど、私はいつも、それは「ADHD」の子どもといいつつ、実はどんな子ども、どんな親にも あてはまることだというつもりで話しました。子どもたちの声を聞いてみる・考えてみることの意味は大きいと思う。

                   

                   学級での混乱や、家族でのずれまくりなど、子どもたちとなかなかうまく関係が結べないというのは、どんな親も教員もみんな経験をしているものだ。

                   

                   親や教員は、多くの場合、自分の態度や自分の顔つきや考え、志すところがいろいろとあって、それに子どもを合わせようとすることで失敗する。

                   

                   あるいは、そこまで強引でないとしても、子どもの立場になってとか、その身になってと思う。けれど、実際には毎日の家事育児、あるいは仕事、そして、教員ならカリキュラムを進めたり、行事に取り組んだりして、ある程度の成果をださないと……というのっぴきならない状況の中で、そううまく、「子どもの立場になって」といかないことが多い。

                   

                   で、結局、私達のようなフツーの大人は、子どもと「折り合いを付ける」ということしか道はない。または、「よりましな関係を結ぶ」ということしかない。

                   

                   ただ、それでも、子どもたちの気持ちをある程度理解していないと、どうしても焦ることになる。親や教員は自分の予定や予測からはずれると、あるいは、思いもしない反応を受けると「困る」「怒れる」「暴力的になる」ということになる。

                   

                   うまくいっている学級や家族を見ても、意外と子どもの方が「気を使って、合わせてくれている」という現実があるのではないか。

                   

                   親や教員たちが、自分の指導の「正しさ」をより強化・精緻化しても、多様化しても、子どもにとっては抑圧にしか感じられないから、余計に反発し、さらに泥沼化する。

                   そこで、子ども、とりわけADHDと言われるような子、または、そういう傾向があると言われる子が何をどう考えているかを、考えてみる必要がある。

                   

                   所詮、私は、当事者ではないので、確定的あるいは絶対的なとらえ方はできないし、するべきではない。人間は百にいれば百通りの個性や資質がある。そして、日々刻々と子どもは態度を変えるのもお得意だ。

                  だから、今回は、親や教員が自分の思いと子どもの思いが、どれほどずれているかを確認するだけで十分だということである。

                   以下は当事者の声として書き出した。で、どうもADHDの子どもだけでなく、すべての子どもにも言えることのような気がする、いっつもなんだけどね。

                   

                   思いつくことをメモしてみる。単純に叱っても効果ないしねえ。工夫が要るねえ。

                  「なんど言ったらわかるんですか(怒)」と叱ることほど虚しい無駄なセリフはないですよ。一度言ったくらいでわかるなら苦労しないよねえ。

                   

                  ということで、こんな事が言える。

                   

                  1.ことの重大さや危険性を考えていないで、衝動的に行動する。

                  → だから、「どうしてそんなことやるの」ってしかってもなあ……

                  2.叱られても意味が分からない

                  → 一応、ごめんなさいとはいうけどなあ……

                  3.目立ちたい。注目されたい。

                  → 屋根に上って目立つより、いいことでめだってくれよっておもうけどなあ……

                  4.集中できない。

                  → なんどいっても「わかりました」っていうけどなあ……

                  5.自分の欠点がわからないこともある。

                  → なんで、オレだけ叱られるわけ?っていうけどなあ……

                  6.学業成績が悪い。

                  → 別におれだけじゃないじゃん、おれだってやればできるっていうけどなあ……

                  8. 指示が具体的で明確にならないと理解できない。

                  → 聞いてなかったよ、わけわからんよっていうけどねえ……

                  9. 自分が嫌い:→自尊心を持つことができる

                  → どうせおれなんかさ、おれだけ叱られるっていうけどねえ……

                  10. DHDの怒りを表現するのに、火山を例に挙げてみよう。怒りは火山の溶岩が爆発するところまで上がってくるのと同じように、だんだんこみ上げてくる。

                  11.だらだらしている

                  → 興味あることは多動だけど、そこでエネルギー使っちゃってるからね……

                   

                  参考文献的に

                  A ベン・ポリス『ぼくは、ADHD』三輪書店2003/5

                      “ Only a mother could love him: ADD:Attention Dificit Disorder ”  2001

                   

                  B 石川真理子『ADHDとして生きる:おりこうでない私の半生』診断と治療社2005/4

                   

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                    7月23日(土) 宮台さんと公開取材

                    • 2016.07.23 Saturday
                    • 23:15

                     今日は、町田の鶴川で『お・は』の公開取材。相手は宮台真司さん。インタビュアーは尹雄大さん。聴衆は30名限定。私は、二時間一本勝負の司会をする。

                     

                     今回の会は『男親の<父・祖父・近所のおじさん>社会学』の第一回目。話は、男の子のコミュニケーションの実態から始まる。男子学生のナンパ率の低下が、自律の度合い低下と相関していると言う話。

                     

                     一時間あまりの宮台さんの話の後、休憩をはさんで、フロアーから色々な質問が出る。詳しくは、これからの『お・は』を読んで欲しい。宮台さんはお子さんが3人で、なかなか大変な子育て生活だという。夫であることと、父であることの分裂の話をふったら、きっちりと受け止めてくれて、おもしろい話をいくつかしてくれた。

                     

                     宮台さんは『お・は』で何回も書いてもらったり、取材を受けてもらったりしているが、率直に言ってアタマがイイ!なのだ。社会学の研究者としても一流だし、現代社会の動向や現象を彼なりの切り口でいつも明解にしてくれている。最近は、精神分析学をもう一度勉強し直しているらしい。むろん、いろいろと批判もされるが、そんなことは意見や見解を公的な場所であきらかにすれば誰だってある。

                     

                     名古屋へ帰る途中、新幹線の中で、芹沢俊介『ついていく父親』というちょっと前の本を読んだ。2000年に発刊された本だけれど、当時はさらっと目を通した程度だったので、今回はきちんとまじめ(笑)よむことにした。おもしろかった。芹沢さんらしい、細かな分析と心性のとらえ方がいい。男親=父親は、子どもと妻に対してどんな振る舞い方がいいのだろうか? このあたりは、フェミニズムはなかなか答えてくれない。やはり、男が自分で考えるしかないのだろうと思う。

                     

                     名古屋駅に着いてから、ジュンク堂に行き、注文していた本を三冊と、新書を三冊購入した。その一冊は『男子問題の時代?』という多賀太著。副題が「錯綜するジェンダーと教育のポリティクス」というたいへんなことになっている。男性の生きづらさについても論じているので、今日の宮台さんの話にもつながるかなと思う。

                     

                     宮台さんの公開取材の第二回目は、10月8日の土曜日。場所は鶴川の和光大学ポプリホールです。定員30くらいで、あっという間に埋まっちゃうので、『お・は』読んで、早めにどうぞ。1000円です。ただし、定期購読してくださる方は無料です。

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